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試訳:アウシュヴィッツ:盗作のケース

カルロ・マットーニョ

 

歴史的修正主義研究会試訳

最終修正日:2003514

 

 

本試訳は当研究会が、研究目的で、Carlo Mattogno, Auschwitz: A case of plagiarismを試訳したものである。
 誤訳、意訳、脱落、主旨の取り違えなどもあると思われるので、かならず、原文を参照していただきたい。

online: http://www.vho.org/GB/Journals/JHR/10/1/Mattogno5-24.html

 

 

「ガス室」の神話は、公式の歴史学によって教条的かつ無批判的に本物として受け入れられてはいるが、実際には虚偽であり、矛盾している「目撃証言」にもっぱら依拠している[1]

クルト・ゲルシュタイン、チャールス・ジギスムンド・ベンデル、アダ・ビムコ、ルドルフ・ヘス、ミクロス・ニーシュリといった「目撃者」は、第二次大戦末か、戦後すぐに錯乱したような「証言」を提出した[2]

 他方、「目撃者」フィリップ・ミューラーは30年たって、執筆を決意し[3]1979年、詳細な「証言」『アウシュヴィッツの目撃者:ガス室の3年間』を1979年に発表した[4]

 しかし、「目撃者の証言」は、この研究で明らかにされるように、大半が恥ずべき盗作の結果であり、ミューラーの先人の著作がそうであるように、まったく価値のないものである。

 ミューラーは、「ヨーロッパのユダヤ人の絶滅の3年間の直接証人」[5]とされており、「アウシュヴィッツの特別部隊の5回の清算から奇跡的に逃れた」とされている人物である[6]

 ミューラーは、自分の「目撃証言」を編纂するにあたって、多くの自分の先人が犯したおろかな誤りを避けるために、アウシュヴィッツ『カレンダー』、アウシュヴィッツ博物館の資料といった「絶滅論」に寄与した古典的文献から発想を得ている。

 「ガス室」に関する彼の情報源は、1961年にミュンヘンの「クイック」が刊行したミクロス・ニーシュリのAuschwitz: A Doctor's Eyewitness Accountである[7]。これは、かなりひどい虚偽の証言であるが[8]、本小論が示すように、ミューラーはこの証言を恥ずかしげもなく盗作している。

 もっとも重要な盗作の事例であるダヤン[9]の演説から始めよう。

 比較のために、ニーシュリのテキストを左に、ミューラーのテキストを右に掲載する[10]

 

ニーシュリ

ミューラー

兄弟たちよ!冷酷な医師が我々の民族を死に追いやってきた。

 

運命は我々にもっとも残酷な課題を割り当てた。我々自身の破壊への関与、灰になるまでの我々の消滅の目撃という課題である。

 

天国は開かれず、人間の手によって築かれた葬儀の薪の火を消すのに十分な雨は降ってこなかった。

 

 

 

我々はユダヤ的なあきらめをもって変更不能なことに身をゆだねなくてはならない。

 

これは主が我々に課した試練である。

 

その理由を探すことは、全能の神に匹敵すべくもない人間の仕事ではない。

 

死を恐れてはならない。

 

たまたま生き残ることができたとしても、その命は、我々にとってどのような価値を持っているのか。

 

我々は自分たちの町と村に戻るかもしれない。しかしそこでは何が待ち受けているであろうか。人気のない、略奪された住処である。

 

我々の眼は涙で曇りながら、絶滅された我々の親族を捜し求めるであろうが、無駄であろう。

 

我々は一人ぼっちであろう。家族も親族もなく。我々は失われた世界を一人ぼっちでさまようであろう。我々は、昔の我々自身と我々の過去の平和と穏やかな影をどこにも見出すことができないであろう。そしていつの日か、一人ぼっちで死んでいくであろう…

兄弟たちよ、我々が命を投げ出すのは、神の不可解な意志である。

 

残酷で呪われた運命によって、我々は我々の民族の絶滅に関与することを強いられた。そして、今、我々自身も塵と灰になろうとしている。

 

 

いかなる奇跡も起こらなかった。天は復讐の電光を送ってはこなかった。雨は降らず、人間の手によって築かれた葬儀の薪の火を消すことはできない。

 

我々はユダヤ的なあきらめにもって変更不能なことを受け入れなくてはならない。

 

 

これは、天国[11]が我々に課した最後の試練である。

 

その理由を問うことは、全能の神に匹敵すべくもない我々の仕事ではない。

 

死を恐れるな。

 

たまたま命を救うことができたとしても、我々にとって、その命はどのような価値を持っているのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

我々は、絶滅された親族を探すであろうが、それは無駄であろう。

 

 

我々は、家族もなく、親族もなく、友人もなく、故郷もなく、一人ぼっちであろう。そして、一人ぼっちで目的もなく、世界を歩き回らなくてはならないであろう。いつの日か世界の片隅で一人ぼっちで死ぬときまで、我々には平和も穏やかさもないであろう。だから、兄弟たちよ、勇敢に、尊厳を持って、神の定めた死と向かい合おうではないか。

 

 別の盗作の事例に移ろう。引用は以下の著作からである。

Filip Müller, Sonderbehandlung. Drei Jahre in den Krematorien und Gaskammem von Auschwitz (特別措置:アウシュヴィッツの焼却棟とガス室での3年間), German edition with Helmut Freitag, Verlag Steinhausen, Munich 1979.

Miklos Nyiszli, Auschwitz. Tagebuch eines Lagerartztes (アウシュヴィッツ:収容所医師の日記), in Quick, Munich 1961, nos. 3-11.

 

焼却炉

 

ニーシュリ

ミューラー

最後の金歯が抜かれたのち、死体は焼却部隊によって処理された。死体は、金属製の手押し車に乗せられた。重い鉄製のドアが自動的に開いた。20分で死体は焼却された[12]

 

上司は、3人の死体の焼却には20分かかると見積もっており、この時間をオーバーしないように監視することがシュタルクの任務であった[13]

[したがって]

 

 間断なく活動する15の大きな炉は、1日に3000名以上の死体を焼却することができた[14]

 

 このデータ(3×15炉室×20分)から、24時間で3240体という処理能力になる。しかしながら、1943628日の「アウシュヴィッツ武装SS警察中央建設局」局長の書簡[15]によると、ビルケナウの焼却棟の24時間の焼却能力は以下のとおりである(ニーシュリとミューラーの数字との比較)。

 

焼却棟Ⅱ:3炉室を持った5炉:14403240

焼却棟Ⅲ:3炉室を持った5炉:14403240

焼却棟Ⅳ:8炉室      : 7681728

焼却棟Ⅴ:8炉室      : 7681728

合計            :44169936[16]

 

 この能力は、1炉室で1体を15分、あるいは45分で3体を焼却することに対応している。しかし、これは技術的に不可能である。この資料は偽造されているか、手を加えられている。トップフ・ウント・ゼーネ社の計算によると、焼却棟Ⅳと焼却棟Ⅴは12時間で1120㎏の石炭を消費する[17]。だから、12時間で384体を焼却することができたとすれば、1体の焼却には少なくとも3㎏の石炭が必要となる。また、1炉室の中で3体を45分で焼却するということは不合理である[18]

 15の炉室で24時間3240体を焼却するということはまったく不合理である。だから、ミューラーはニーシュリを模倣したに違いない。

 

 

ニーシュリ

ミューラー

合計すると、10000名を毎日、ガス室から焼却炉に運ぶことができた[19]

絶滅手順における初期の困難が克服された。その後、アウシュヴィッツの焼却棟と比較して、炉の数が8倍に増やされ、特別部隊の囚人が40倍に増やされたので、24時間で10000体を焼却することが可能となった[20]

 

 ニーシュリの著作のオリジナルのハンガリー語テキストは、この翻訳とは一致していない。以下が実際の内容である。

 

「死体は20分で焼却された。一つの焼却棟は15の炉室をもっていた。毎日の焼却能力は、5000名である。4つの焼却棟は同様の能力を持っている。20000名がガス室で最後を迎え、そこから、焼却炉に向かう[21]。」

 

 実際には、ニーシュリの数字によれば、15の炉室の最大焼却能力は、5000ではなく、24時間に3240体となるはずであろう。さらに、焼却棟Ⅱと焼却棟Ⅲは15の炉室をもっており、焼却棟Ⅳと焼却棟Ⅴは8の炉室をもっていたにすぎないのだから、4つの焼却棟が同じレートで稼働することはできない。ドイツ語版の訳者は、ニーシュリの算術的な誤りを「訂正し」、10000名としたのである(ビルケナウの炉室の実際の数によると9936名である)。

 この処理能力は技術的に不可能であり、ミューラーが『クイック』誌に掲載されたニーシュリのドイツ語版を盗作したことを示している。

 

ニーシュリ

ミューラー

15の換気扇が同時に作動した。各炉の横に一つがある。[22]

(焼却壕とは対照的に)焼却炉では換気扇の助けを借りて、高い温度を維持することができた。[23]

 

 トップフ社の炉は換気扇を備えておらず、特別なチューブを介して焼却室につながるコンプレッサーを備えていた[24]。だからここでも、ミューラーはニーシュリを盗作していることになる。

 

 

ガス処刑

 

ニーシュリ

ミューラー

おそらしい光景であった。死体は部屋に散らばっているのではなく、積み上げられていた。これには理由がある。そとから投入されたチクロンはまず、致死性のガスを床に放出する。ついで、次第に空気の上部に到達する。だから、犠牲者たちはたがいによじ登って、積み重なっていく。高く上るほど、ガスはゆっくりと到達するからである。[25]

投入されたチクロンBが、空気と接触すると、作り出された致死性のガスは最初に床に広がり、ついで高く上っていく。このために、大きい人、強い人が死体の山の上になり、子供や老人や弱い者は底になる。その間に、中年の男女がいる。疑いもなく、頂上にいる人は、死の恐怖にとらわれて、すでに床に横たわっている人々の上をよじ登ったのである。彼らは、そのようにする力を持っており、致死性のガスが下から上に広がっていくことを知っていたからである。[26]

 

 ここで描かれている光景は本物ではあり得ない。問題のガス[27]が空気よりも重く、「ガス室」の下から上に広がってことを前提としているからである。ニーシュリはチクロンBが「塩素」から構成されているという誤った考えにもとづいている[28]。実際には、「青酸の煙は大気よりも軽く(空気の0.97の比重)、大気にすぐ上る。[29]」このことは、青酸は、床レベルで最初に飽和することではなしに、(空気の対流なしに)ゆっくりと立ち上ることによって、チクロンBから放出されることを意味する。それゆえ、できる限りガスから逃れるために、「ガス室」の中で犠牲者が青酸の濃度が最大である空気の層の方に上っていくことは不可能である(青酸の存在は、容易に感知される。ミューラーによれば、青酸は「無味無臭ではない。それはメチルアルコールのような臭いがして、甘い味がした」[30]からである。

 盗作は、チクロンBがそれを介して「ガス室」に投入されたチューブの記述によっても確証される。それについては、ミューラーはニーシュリから剽窃しているのである。

 

ニーシュリ

ミューラー

部屋の真ん中には、30mの間隔で柱があった。それらは床から天井まで続いていた。支柱ではなく、鉄製の中空の柱があり、その両側には多くのミシン目があった。[31]

チクロンBガスの結晶はコンクリートの天井にある穴を介して投入され、それは鉄製の中空の柱に流れ込んだ。そこには規則的な間隔でミシン目が開けられていた。そのなかには天井から床まで螺旋状のものが走っており、できる限り、粒状の結晶が均等にばらまかれるように工夫されていた。[32]

 

 チクロンBを殺人ガス室内部に投入するためのこのような中空の柱の存在は、技術的に不合理である。中空の柱は室内でのガスの拡散をかなり遅らせるし[33]、結果として、犠牲者の死、室内からのガスの除去[34]、したがって死体の除去も遅らせてしまうのである

 さらに、中空の柱の土台の所にある穴の大半は、犠牲者の死体によって塞がれてしまい、ガスの拡散を遅らせるであろう。それは、天井の下の空気の方へガス押し上げ、そこからふたたび、ガスはゆっくりと床の方に向かうであろう。ニーシュリが発明し、ミューラーが剽窃したこれらの中空の柱はまったく不合理である。

 最後に、「ガス処刑」が終わったのちに、ホースで死体を洗浄したとされているが、そんなことをすれば、中空の柱の内壁のあいだに水がたまってしまうであろうし、チクロンBの丸薬がある床にも水がたまり、ガス排出をさらに遅らせるであろう[35]

 それゆえ、ミューラーはこの光景をニーシュリから剽窃しているのである。

 

 ミューラーは、「ガス室」での「絶滅」の全過程を盗作している。

 

    チクロンBを焼却棟に運んだのは、赤十字のマークを付けた自動車であった(Müller, p. 183; Nyiszli, 4, p. 29)

    焼却棟Ⅱの「ガス室」は3000名を収容できる(1mあたり14名)(Müller, p. 95; Nyiszli, 4, p. 29)[36]

    それは、チクロンBが投入されたミシン目のある金属製の中空の柱を備えていた。(Müller, p.96; Nyiszli, 4., p. 29)

    「ガス処刑」の後、死体は火災用のホースで清掃された。ミューラーは「水のホース」で、ニーシュリは「強力な水の流れ」で

    その後、死体はエレベーターに運ばれた[37](Müller, p. 185; Nyiszli, 4, p. 29)

 

 ミューラーは、Beの多くのジプシーが水癌で死んだと述べている。ダヌータ・チェクも論文「アウシュヴィッツⅡ強制収容所での収容所病院の役割」[38]の中で、ビルケナウのジプシー収容所でこの病気が流行したことを示唆しており、その際、とくにニーシュリの本を上げている[39]。だから、ここでも、ミューラーは盗作しているのである。

 マウトハウゼンでは、「3日目、点呼のとき、ビルケナウの特別労務班のメンバーが外へ出るように命令された(273頁、この光景はニーシュリが与えたものであり、彼は「3日目」としている。

 ミューラーはジョン・ベネットあての書簡の中で、自分はニーシュリのことをよく知っていると述べているが[40]、自分の盗作が露見することを恐れて、本の中ではこれについて慎重に避けている[41]

 ミューラーは自分の「目撃証言」を作成するにあたって、他の資料も使っている。

 「ガス室」の中での悲喜劇的な彼の自殺の企ては、194554日のゲルシュタイン報告の「ガス処刑」からまったくヒントを得ている。[42] [43]

 

ゲルシュタイン

ミューラー

彼らは死の中で依然として歯を食いしばり、手を握っていた。[44]

苦悶の間、多くの人々は手を握り締めていた。[45]

死者は玄武岩のようにまっすぐに立っており、部屋の中で互いにびっしりと押し合っていた。[46]

集団は、互いに押し合って壁に向かっており、玄武岩の柱のようであった。[47]

死体は汗と汚物にまみれたまま外に投げ出された。足は汚物や生理血で汚れていた。[48]

ほとんどすべての死体が汗と汚物にまみれていた。多くの女性の足は、生理血で汚れていた。[49]

 

 しかし、この「目撃者」への最後の一撃は、ミューラー自身によって与えられている。19447月のアルフレッド・ヴェツラーとヴァルター・ローゼンベルク(ルドルフ・ヴルバ)のビルケナウからの逃亡を記述したのち、彼は、こう述べている。

 

「私は、アルフレッドに、ガス室を備えた焼却棟の設計図と焼却棟で働いているSS隊員の名簿を渡した。[50]

 

 二人の逃亡者は、アウシュヴィッツでの経験についての二つの報告を書き、それは194411月に合衆国で公表された[51]

 事実、いわゆる「ガス室」を備えたビルケナウの焼却棟ⅠとⅡ(公式のドイツの番号ではⅢとⅣ)の設計図は[52]、アルフレッド・ヴェツラーの報告の15頁に掲載されているが[53]、この設計図は、オリジナルの設計図と比較すればすぐわかるように、まったくの偽造である[54]。作者が自分の記述している場所に足を踏み入れたことはないのは明らかだからである。

 もしミューラーが問題の設計図を実際に描いたとするならば、彼は焼却棟ⅡとⅢに入ったことがなかったのであり。それゆえ彼の「目撃証言」はまったくの虚偽であることになる[55]

 もっとも驚くべきことは、彼は焼却棟Ⅲのかなり正確なスケッチを公表しており[56]、それは明らかに焼却棟Ⅱのオリジナルな設計図にもとづいていることである。

 彼は、これこそがヴェツラーに手渡したスケッチであると信じさせようとしているのであろうか。

 

 

付録

1.「ダヤン」の演説。From Miklos Nyiszli, "Auschwitz Tagebuch eines Lagerarztes," Quick, Munich, 1961, no. 10, p 47

 

Der Dajen Spricht jetzt:

"Brüder! Ein unerforschlicher Wille hat unser Volk in de tod geschickt. Das schicksal hat uns als grausamste Pflicht auferlegt, bei der Vernichtung unseres Volkes mitzuwirken, ehe wir selbst üzu asche werden. Der Himmel hat sich nicht geöffnet, kein regen ist gefallen, der stak genug gewesen wäre, die von Menschenhänden errichteten Scheiterhauten zu löschen. Mit jüdischer Ergebung müssen wir uns in das Unab änderliche fügen. Es ist eine Prüfung, die dre Herr uns geschickt hat. Nach den Gründen zu suchen, ist nidcht aufgabe von uns Menschen, die wir ein Nichts sind gegen den allmächtigen Gott.

Fürchtel euch nicht wor dem Tod! Welch einen wert hätte für uns noch das leben, wenn es uns durch Aufall erhalten bliebe? Wir kämen wohl in unsere Städte und Dörfer zurück. Aber was würde uns dort erwarten -- leere, augeplünderte wohnungen. Unsere tränenblinden augen würden vergebllich nach unseren vernichteten Angehörigen suchen. Wir wären allein. Ohne familie. Ohne Verwandte. Allein und verloren würden wir in der welt umherirren. Nirgens fänden wir ruhe und Frieden. Schatten unseres einstigen Ichs und unserer Vergangenheit. Und so würden sir dana eines Tage einsam sterben ..."

Tiefes Schweigen. Hin und wieder ein Seufzer, ein Atemholen.

 

2.「ダヤン」の演説。 From Filip Müller, Sonderbehandlung. Drei Jahre in den Krematorien und Gaskammern von Auschwitz, with the collaboration of Helmut Freitag, Verlag Steinhausen, Munich 1979, p. 262-263.

 

Brüder! «rief er,» nach Gottes unerforschlichem Ratschluß treten wir jetzt unseren letzten Gang an. Ein grausames und schreckliches Schicksal hat uns gezwungen, bei der Ausrottung gunseres Volkes mitzuwirken, bevor wir jetzt selbst zu Asche werden. Es ist kein Wunder geschehen. Der Himmel hat keine strafenden Blitze gesandt, er hat auch keinen Regen failen lassen, der stark genug gewesen wäre, die Brände der von Menschenhänden errichteten Scheiterhaufen zu ersticken. Mit jüdischer Ergebenheit müssen wir jetzt das Unabänderliche hinnehmen. Es ist die letzte Prufung, die uns der Himmel geschickt hat. Nach den Gründen zu fragen, steht uns nicht an, denn wir sind nichts gegen den allmächtigen Gott. Fürchtet euch nicht vor dem Tod! Was für einen Wert hätte denn das Leben noch für uns, wenn wir es durch einen Zufall retten könnten? Vergeblich würden wir nach unseren vernichteten Angehorigen suchen. Wir wären allein, ohne Familie, ohne Angehörige, ohne Freunde, ohne Heimat, und müßten ohne Ziel in der Welt herumirren. Nirgends gäbe es noch Ruhe und Frieden für uns, bis wir dann eines Tages einsam und verlassen irgendwo sterben würden. Deshalb, Brüder, laßt uns stark und tapfer in den Tod gehen, den Gott jetzt beschlossen hat!" «

 

3

焼却棟Ⅱのオリジナル設計図

地下

1. 死体安置室1(Leichenkeller 1)

2. 死体安置室2(Leichenkeller 2).

3.       死体安置室3(Leichenkeller 3)

4.       エレベーター

5.       前室

6.       ホール

地上

7.       焼却室

8.       焼却炉(3炉室の5つの炉)

9.       煙突

 

4

戦争難民局報告に掲載されたビルケナウの焼却棟ⅠとⅡ(ⅡとⅢ)の図面From Executive Office of the President, War Refugee Board, Washington, D.C., German Extermination Camps -- Auschwitz and Birkenau, November 1944, p. 15 (the description below is based on that of pp. 14, 16 in this report).

Description:

a. 焼却炉室:4炉室の9つの炉が高い煙突の周囲にある。虚偽

b.「大ホール」あるいは「受け入れホール」:地上にある犠牲者の「脱衣室」。虚偽

c.「ガス室」:地上にあり、チクロンBの投入のために屋根に開口部を備えている。虚偽

d.「ガス室」から焼却炉室へのレール。虚偽

 

5

ミューラーの本に掲載されたビルケナウの焼却棟Ⅱの対称形である焼却棟3の図面。From Filip Müller, Sonderbehandlung. Drei Jahre in den Krematorien und Gaskammern von Auschwitz, with the collaboration of Helmut Freitag, Verlag Steinhausen, Munich 1979, p. 287.

N.B.: The reference to the numeration of the crematoria which appears on the plan (V and IV) is erroneous.

Kellergeschoss: Basement

Erdgeschoss: Ground floor

1.「脱衣室」への階段

2.「脱衣室」(実際にはLeichenkeller 2

3.「ガス室」(実際にはLeichenkeller)。コンクリートの柱。 "Gas inlets."

4.死体のためのエレベーター

5.残りの死体のための滑降路

6.焼却室

7. 3炉室炉

8.煙突

9.石炭貯蔵庫

10.洗浄室

11.所長の事務所

12.処刑室

13.金の詰め物溶解室(焼却棟Ⅱでは解剖室)

14.焼却棟Ⅲでは、金の詰め物を溶解する人々の区画

1213を同一視するのは、ニーシュリの「目撃証言」に由来する。

 



[1] 「ガス室神話」に関する全体的なアプローチについては、歴史的書誌学的論文The Myth of the Extermination of the Jews," The Journal of Historical Review, Vol. 8, nos.2 and 3 (Summer and Pall 1988), translated from Annales d'histoire révisionniste, no. 1, Spring 1987)を参照していただきたい。英語版、フランス語版はイタリア語版のオリジナルII mito dello sterminio ebraico. Introduzione storico-bibliografica alla storiografica revisionista, Sentinella d'Italia, Monfalcone, 1985を改定修正したものである。

[2] このテーマについては、Il rapporto Gerstein: Anatomia di un falso, Sentinella Italia, Monfalcone, 1985; Auschwitz; due false testimonianze, Edizioni La Sfinge, Parma, 1986; Auschwitz: The "Confessions" of Höss, Edizioni La Sfinge, Parma, 1987; Medico ad Auschwitz': Anatomia di un falsoを参照していただきたい。 La balsa testimonianza di Mikclos Nyiszliはまもなく発表予定である。

[3] Claude Lanzmann, in his preface to the French translation of Filip Müller's book (see note 4 below), Trois ans dans une chambre d gaz d'Auschwitz, Pygmalion/Gérard Watelet, Paris 1980, p. 10.

[4] Filip Müller, Sonderbehandlung. Drei Jahre in den Krematorien und Gaskammern von Auschwitz, with the collaboration of Helmut Freitag, Verlag Steinhausen, Munich, 1979. (本小論での、ミューラーとニーシュリからの引用は、直接、ドイツ語版からとられており、英語版のFilip Müller, Eyewitness Auschwitz. Three Years in the Gas Chambers, Stein & Day, New York, 1979, and Miklos Nyiszli, Auschwitz: A Doctor's Eyewitness Account, Fawcett Crest, New York, 1960.とは異なっている。

[5] Claude Lanzmann in his preface to the French translation of Müller, Trois ans dans une chambre à gaz d'Auschwitz, p. 9.

[6] Ibidem.

[7] .Miklos Nyiszli, "Auschwitz. Tagebuch eines Lagerarztes," in Quick, Munich, nos. 3-11.

[8] ミクロス・ニーシュリの虚偽の証言の深い分析については、私の論文"Medico ad Auschwitz": Anatomia di un falsoを参照していいただきた。

[9] ヘブライ語のdajjân は判事(とくにラビの法廷での)を意味している。 (M.E. Artom, Vocabolario ebraico-italiano, Rome, 196S, s.v. )ニーシュリは、この演説が行なわれたのは、焼却棟Ⅱ(公式のドイツの番号ではⅢ)のボイラー室のなかで、460名の特別部隊を前にしてのことであったとしている。(a)ミューラーは、焼却棟Ⅱ(ニーシュリの焼却棟Ⅰ)の庭で、約200名の特別部隊を前にしてのことであったとしている。(b)ニーシュリは、この場合、460名の特別部隊は、火炎放射器で殺され、自分と自分の3名の助手だけが生き残ったとしている。(c)だから、ニーシュリからすれば、ミューラーもこのとき殺されたことになる。ミューラーはその場にいてダヤンの演説をこのとき聞いたと主張しているからである。(aDr. Nyiszli, Miklos, Orvos voltam Auschwitzban, Bucharest, 1964, pp. 167-168. ドイツ語版は焼却棟)について言及しており、ボイラー室kazanterem という単語を削除している。(bMüller, Sonderbehandlung. Drei Jahre in den Krematorien und Gaskammern von Auschwitz, p. 262.(ダヤンの演説、その他ミューラーとニーシュリからの引用はすべて、ドイツ語版から翻訳している引用者)(cOrvos voltam Auschwitzban, p. 170; Quick, no. 10, p. 47.

[10] Nyiszli, "Auschwitz. Tagebuch eines Lagerarztes." Quick, no. 10, p. 47. Müller, Sonderbehandlung.. , pp. 262-263.

[11] ヘブライ語の単語 sâmajm (heaven) は神、主(ヘブライ語でadônâj)を暗喩している。

[12] No. 4, p. 29: "Nachdem der allerletzte Goldzahn herausgebrochen worden ist, landen die Leichen beim Einäscherungskommando. Jeweils drei werden auf ein Schiebwerk aus Stahl-Lamellen gelegt. Die schweren Eisenturen offnen sich automatisch. Innerhalb von zwanzig Minuten sind die Leichen verbrannt."

[13] P. 29: "Für die Verbrennung von drei Leichen hatte man höheren Ortes 20 Minuten veranschlagt, und Starks Aufgabe war es, dafür zu sorgen, dass diese Zeit eingehalten wurde."

[14] P. 94: "15 massive Öfen konnten bei durchgehendem Betrieb täglich mehr als 3.000 Leichen verbrennen."

[15] Hefte von Auschwitz. Wydawnictwo Panstwowego Muzeum w Oswiecimiu, 4, 1961, p. 110.

[16] ニーシュリによると、ビルケナウの4つの焼却棟の焼却能力は、24時間で12960である。これは、焼却棟ⅣとⅤが8炉室しか持っていないことを無視している。See p.10 of his book.

[17] .J.-C. Pressac, "Les `Krematorien' IV et V de Elirkenau et leurs chambres à gaz. Construction et fonctionnement," in Le Monde Juif, no. l07, July- September 1982, p. 114.

[18] 1体の焼却には、ガス炉では約300㎏の木材を消費し、6075分、直接燃焼炉では、100150㎏の木材を消費し1時間半-2時間必要である。 (Enciclopedia Italiana, Rome, 1949, vol. XI, article "Cremazione," p. 825).現代のハンブルクのオルスドルフとオイェンドルフの焼却棟では、1体の焼却には連続的な焼却サイクルにおいて5070分必要である。燃焼室はガスバーナーによってあらかじめ暖められる(8㎥の天然ガス)。それは、700800度まで温度を上げる。ついで、棺の中にある死体を入れ、800900度にまで引き上げる。 (letter from the Umweltbehörde-Garten und Friedhofisamt-Hamburg [Environmental Board- Park and Cemetery Offlce-Hamburg] to the author, 5 May 1987).

[19] No. 4, p. 29: "Insgesamt können wohl an die 10.000 Menschen täglich von den Gaskammern in die Verbrennungsöfen transportiert werden ..."

[20] P. 97: "Die Vermehrung der Zahl der Öfen im Vergleich zum Auschwitzer Crematorium auf beinahe das Achtfache und der Einsatz Auschwitz: A Case of Plagiarism 21 von vierzigmal mehr Hfäftlingen im Sonderkommando machten es, nachdem anfängliche Schwierigkeiten im Ablauf der Vernichtungsprozedur beseitigt worden waren, möglich, in 24 Stunden bis zu 10.000 Leichen einzüaschern."

[21] Dr. Nyiszli, Orvos voltam Auschwitzban, op. cit., p. 50: "A holttestek husz perc alatt hamvadnak el. A krematorium tizenöt kemencevel dolgozik. Ötezer ember elégetése a napi kapacitasa Összesen négy krematorium dolgozik ugyanezzel a teljesitoképességgel. Huszezer ember megy at naponta a gazkamrakon, onnan a hamvasztokemencékbe."

[22] No. 4, p. 29: "Fünfzehn solcher Ventilatoren arbeiten auf einmal, neben jedem Ofen ist einer angebracht."

[23] P. 217: " in den Öfen der Krematorien mit Hilfe der Ventilatoren eine Dauerhafte Glühhitze erhalten werden konnte"

[24] NO-94448; operating instructions for the coke- heated Topf three-muffle incineration oven (an appendix to the French translation of Nyiszli, Médecin à Auschwitz. Souvenirs d'un médecin déporté, translated and adapted from the Hungarian by Tibère Kremer, Julliard, 1961). See also Georges Wellers, Les Chambres à gaz ont existé. Des documents, des témoignages, des chiffres, Gallimard, 1981, p. 203-204.

[25] No. 4, p. 29: "Ein grauenhaftes Bild bietet sich: Die Leichen liegen nicht im Raum verstreut, sondern türmen sich hoch übereinander. Das ist leicht zu erklaren: Das von draussen eingeworfene Cyclon entwickelt seine tüdlichen Gase zunächst in Bodenhöhe. Die oberen Luftschichten erfasst es nach und nach Deshalb trampeln die Unglücklichen sich gegenseitig nieder, einer klettert über den anderen. Je hoher sie sind, desto spater erreicht sie das Gas."

[26] P. 185-186: "Wenn die eingeworfenen Zyklon-B- Kristalle mit Luft in Berührung kamen, entwickelte sich das tödliche Gas, das sich zuerst in Bodenhöhe ausbreitete und dann immer höher stieg. Daher lagen auch oben auf dem Leichenhaufen die Grössten und Kräftigsten, während sich unten vor allem Kinder, Alte, und Schwache befanden. Dazwischen fand man meist Manner und Frauen mittleren Alters. Die obenliegenden waren wohl in ihrer panischen Todesangst auf die schon am Boden Liegenden hinaufgestiegen, weil sie noch Kraft dazu und vielleicht auch erkannt hatten, dass sich tödliche Gas von unten nach oben ausbreitete."

[27] チクロンBはペースト状の土に吸収された青酸から構成されている。その沸点は摂氏25.7度である(約華氏78度)。この温度でガスとなる。 (Eugen Kogon, Hermann Langbehn, Adalbert Rückerl, Les Chambres à Gaz, secret d'Etat, Editions de Minuit, Paris, 1984, p. 257).

[28] "ciklon vagy klor szemcsés formaban," ["Cyclon (sic) or chlorine in granular form ] (Dr Nyiszli, Orvos voltam Auschwitzban, op. cit., p. 47).

[29] Nationalsozialistische Massentotungen durch Giftgas, op. cit., p. 282.

[30] "Denn das Gas war weder geruch-noch geschmacklos. Es roch nach brennendem Trockenspiritus und erzeugte auf den Lippen einen susslichen Geschmack" (Müller, p. 185).

[31] "In der Mitte des Saales stehen im Abstand von jeweils dreissig Metern Säulen. Sie reichen vom Boden bis zur Decke. Keine Stützsäulen, sondern Eisenblechrohre, deren Wände überall durchlöchert sind" (Nyiszli, no. 4, p. 29).

[32] "Die Zyklon-B-Gas-Kristalle wurden nämlich durch Öffnungen in der Betondecke eingeworfen, die in der Gaskammer in hohle Blechsäule einmündeten. Diese waren in gleichmässigen Abstanden durchlöchert und in ihrem Innern verlief von oben nach unten eine Spirale, um für eine möglichst gleichmässige Verteilung der gekörnten Kristalle zu sorgen" (Müller, p. 96).

[33] もっとも近代的な殺菌駆除室は空気循環という基本原則にもとづいている。「単純な部屋では、ガスの拡散は膨張の通常の割合に依存する。この緩慢な過程は。空気の人為的な運動、あるいはもっとうまく、空気の循環によってかなり加速されることができる。もっとも効果的な循環システムは、対ガスファンによって、ガス室の一方の側からガスを吹き出し、通風口によって他方の側に送り、それをふたたび室内に送り込むことである。この方法によるガスの循環は、室内での完全なガスの拡散を可能とする。循環システムに挿入された蒸発装置を通過するときに、空気の流れは、煙も運ぶであろう。ガスの効率は、部屋の温度を徐々に上げていく対ガス発熱機によってさらにあがる。」(Degesch, Fumigation Chambers for Pest Control, Erasmusdruck, Mainz, VIII.67, p. 8).アウシュヴィッツには1942年からこのタイプの殺菌駆除施設があった(デゲシュ循環装置)。ビルケナウの「殺人ガス室」の発明者がガスの効果的な拡散のために「循環」システムを導入していないことが驚きであれば、上述の鉄製の中空の柱を導入することで拡散を妨げてしまったのは、まったく馬鹿げたことである。

[34]「 循環システムは、排気目的にためにも有効である。外部から新鮮な空気を室内に引き入れることによって、ガスと空気の混合物が室内と物品から急速かつ効果的に排出される。」(Degesch, Fumigation Chambers for Pest Control, op. cit., p. 9).デゲシュ社の循環システムについては、Fritz Berg, The German Delousing Chambers," in The Journa1 of Historical Review, Vol. 8, no. 1 (Spring 1986), pp. 73- 94.を参照。

[35] 青酸は、「非常に水に溶けやすい」。「窒素化合された青酸は水化し、最初、formamideに変形し、ついで酸に変形する。そこから、それは脱水によって獲得できる。」(Enciclopedia Medica Italiana, Sansoni, 1951, article "Cianidrico, acido," columns 1402 and 1403).「シアン化水素は水に非常に溶けやすい。」「水に溶けた青酸の極度の毒性を考慮すると、ガスの少しの痕跡でさえも致命的である。」(Degesch, Zyklon for pest control, Erasmusdruck, Mainz, IX 64.10, pp. 5, 7.)ミューラー自身が次のように述べている。「小さな部屋がドアの後ろに作られていたとき、死体には水がかけられていた。このやり方で、(a)まだ残っていたガスの結晶は(b)中性化され、死体もきれいになる。」このような記述は、「ガス室」の中に、チクロンBが蓄積される中空の柱の存在と矛盾している。

[36] 焼却棟Ⅱのいわゆる「ガス室」は、オリジナルの設計では、たんに210㎡の地下死体安置室である(a)。そこには7つのセメントの支柱があるので、理論的な210㎡(30×7)よりも少ない(b)。だから、ミューラーのあげている数字(250㎡)は不正確である。

[37] ニーシュリによると、焼却棟Ⅱは「4つの大きなエレベーター」を備えていた。焼却棟ⅡとⅢには1つのエレベーターしかなかったので不正確である。

[38] In Contribution à l'histoire du KL Auschwitz, Edition du Musée d'Etat à Oswiecim, 1978, p. 64.

[39] Ibidem.

[40] The Journal of Historical Review, Vol. 1, no. 3 (Fall 1980), pp. 271-272. The letter, published in an English translation, is dated 24 January 1980.

[41] ミューラーは、特別労務班医師(ニーシュリは19446月から19451月まで、メンゲレ博士の直接の指揮下で、この職務についていたと述べている)として、ジャック・パクの名前をあげている(100238頁)。また、「3名の生理学者」にも触れているが(262頁)、 名前はあげていない。そして、「検視官助手」の一人フィッシャーとも親しい関係であったと述べている(265頁)。しかし、フィッシャーはニーシュリの助手であった(注641頁)。

[42] 彼は、「若い盛りの」裸の少女たちのグループに救われた。彼女たちが彼の手と足を持って、「ガス室」から彼を放り出した(177180頁)。

[43] "Augenzeugenbericht zu den Massenvergasungen," in Vierteljahreshefte fur Zeitgeschichte, 1953, pp. 177-194.

[44] "Augenzeugenbericht zu den Massenvergasungen," p. 191: "Sie drunken sich, im Tode verkrampft, noch die Hande"

[45] P. 186: "viele hatten sich, im Tode verkrampft, noch die Hande"

[46] "Augenzeugenbericht zu den Massenvergasungen," p. 191: "Nie Basaltsaülen stehen die Toten aufrecht aneinandergepresst in den Kammern."

[47] P. 186: "An den Wanden lehnten Gruppen, aneinandergepresst wie Basaltsaulen."

[48] . "Augenzeugenbericht zu den Massenvergasungen," p. 191: "Man wirft die Leichen-nass von Schweiss und Urin, kotbeschmutzt, Menstruationsblut an den Beinen, heraus."

[49] P. 185: "Denn fast alle waren nass von Schweiss und Urin, mit Blut und Kot beschmutzt, und viele Frauen waren an den Beinen mit Menstruationsblut besudelt"

[50] . P. 193: " Ich hatte Alfred einen Plan der Krematorien mit den Gaskammern und eine Liste mit den Natnen der SS-Leute ubergeben, die in den Krematorien Dienst taten."

[51] Executive Office of the President, War Refugee Board, Washington, D.C. German Extermination Camps-Auschwitz cnd Birkenau, November 1944. この報告は二つの部分に分けられている。第一は、The Extermination Camps of Auschwitz (Oswiecim) and Birkenau in Upper Silesiaという題であり、1-"Auschwitz and Birkenau" (pp. 1- 26); 2-"Majdanek" (p. 26-33); 3-(untitled) (pp. 3340)の3つの章からなっている。第二は、 "Transport."というひとつの章である。報告は匿名である。第一部の3つの章の作者が、アルフレッド・ヴェツラー、ルドルフ・ヴルバ、チェスラフ・モルドヴィツ、アルノスト・ロシンであることが判明したのはずっと後のことである。 (Martin Gilbert, Auschwitz and the Allies, London, 1981, p. 329).

[52] 本小論の付録図3を参照していただきたい。

[53] 「アウシュヴィッツとビルケナウ」という章。この章の1頁目で、作者は自分がアウシュヴィッツにやってきたのは1942413日であったと述べている。ヴェツラーの登録番号は29であった。 (Gilbert, Auschwitz and the Allies, op. cit. telegram from SS- Sturmbannfuhrer Hartjenstein on 9 April 1944 reporting the escape of Wetzler and Vrba [photo. 23 between pp. 192 and 193B. See He"te von Auschwitz, Wydawnictwo Panstwowego Muzeum w Oswiecimiu, 7, 1964, p. 87.

[54] 本小論の付録図4を参照していただきたい。

[55] この点に関して、ミューラーは、自分は設計図を書いたのではなく、それを手渡しだけであると反論するかもしれない。しかし、このような重大な資料を事前に自分で検証せずに、たんに手渡しただけであるということを信じることができるであろうか。そして、もし検証していたとすれば、それが不正確であることを気づかないですむものなのであろうか。気づいていたとすれば、なぜ見過ごしてしまったのであろうか。

[56] 本小論の付録図5を参照していただきたい。


『いわゆるヒトラー一派のガス室といわゆるユダヤ人の虐殺は、同一の歴史的嘘である。この嘘のおかげで、非常に大きな政治的・金銭的詐欺行為が容認され、そのおもな受益者はイスラエル国家と国際シオニズムであり、そのおもな犠牲者はドイツ国民―その指導者ではない――とパレスチナ民族全体である。』

— ロベール・フォーリソン教授博士

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1980年代のイスラエルの戦略 この記事は1982年2月『Kivunim、A Journal for Judaism and Zionism』の第14号、冬季5742にヘブライ語で掲載されたものである。

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