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ホロコースト再審法廷

 

審理事項:チクロンB投下穴、投下筒、針金網柱

 

開廷日:2003813

公判記録作成者:加藤一郎

 

 

裁判長:ホロコースト再審法廷を開廷します。本日の公判は、ビルケナウの焼却棟ⅡとⅢでは、死体安置室1の屋根にある穴から、チクロンBを投下することでガス処刑が行なわれたという検事側の告発を審理したいと思います。

本審理の争点は次の2点です。

 

         焼却棟ⅡとⅢの死体安置室1の屋根には、チクロンB投下穴、投下筒が実在していたのかどうか。

         投下されたチクロンBは針金網柱を介して、死体安置室1に送り込まれたというが、それは実在していたのか、実在していたとすれば、どのような構造であったのか。

 

 ①と②の争点はお互いに関連しているように思われますが、ひとまず、2つに分けて審理していきたいと思います。

 

 

Ⅰ チクロンB投下穴、投下筒問題

 

 

裁判長:まず、チクロンBの投下穴、投下筒が実在したことについて、検事側の立証を求めます。

 

検事側立証

検事:まず、アウシュヴィッツ所長ルドルフ・ヘス氏の証言を求めます。[1]ガス処刑はどのように行なわれたのですか。

ヘス:地下で行なわれました。ガス室の天井には3つか4つの穴がありました。その穴の回りに網格子があり、それはガス室の床にまで届いていました。ガスは、この穴からガス室に注がれたのです。

 

検事:次に、アウシュヴィッツ・ビルケナウの囚人であったヘンリク・タウバー(Henryk Tauber)氏の証言を求めます。タウバーさん、焼却棟の脱衣室とガス室について話してください。

タウバー:脱衣室とガス室の屋根は、コンクリート板と草の生えた土の層に覆われていました。4つの小さな筒があり、そこからガスが投げ込まれ、それがガス室に立ちのぼっていきました。これらの穴は2つの取っ手のついたコンクリート・カバーで覆われていました。

検事:この穴から、ガス室にチクロンBが投げ込まれたのですね。

タウバー:はい。焼却炉室の窓越しに、チクロンBが投げ込まれるのを見ました。

 

検事:次に焼却棟Ⅱに換気システムを設置したトップフ・ウント・ゼーネ社の技術者カール・シュルツェ(Karl Schultze)氏の証言を求めます。シュルツェさん、ガス室の内部について話してください。

シュルツェ:その建物は、幅8m、長さ30mでした。内部は、まったくの空洞でした。高さは2.6mでした。天井には、25cm×25cm4つの四角の穴がありました。

 

検事:次に、収容所の特別労務班員であったザルメン・レヴァンタール(Salmen Lewanthal)氏の証言を求めます。レヴァンタールさん、どのようにガス処刑が行なわれたのか話して下さい。

レヴァンタール:全員が集められると、ガス・ブンカーに追いやられました。耳を引き裂くような絶望の叫び声と、大きな泣き声が聞こえました。4缶のガスが上部にある小さなドアから投げ込まれ、ドアがふさがれると、静けさがふたたび支配しました。

 

検事:次に、SS監察官コンラート・モルゲン(Konrad Morgen)氏の証言を求めます。どのようにガス処刑が行なわれたのか話して下さい。

モルゲン:人々がシャワー室に入ると、それは閉められました。このとき、ガス服を着たSS隊員が外の空気シャフトの上にのぼり、シアン化水素の箱を部屋に投入しました。

 

検事:次に、SS医師メンゲレの検死助手をつとめていたミクロス・ニーシュリ(Miklos Nyiszli)医師の証言を求めます。どのようにガス処刑が行なわれたのか話して下さい。

ニーシュリSS隊員らは、背の低いコンクリートの筒の方に向かいました。それはコンクリートの蓋でカバーされていました。彼らはガスマスクをつけました。そして、缶が開き、缶の中身、ピンク・ライラック色の粒上のチクロンBを穴に投げ込みました。

 

検事:次に、アウシュヴィッツ・ビルケナウの元囚人チャールズ・ベンデル(Charles Bendel)医師の証言を求めます。どのようにガス処刑が行なわれたのか話して下さい。

ベンデル:焼却棟ⅡとⅢでは、ガスは天井から投入されました。それは、床に直線的に落ちていきました。

 

検事:次に、アウシュヴィッツのゲシュタポ将校であったヨーゼフ・エルバー(Josef Erber)氏の証言を求めます。どのようにガス処刑が行なわれたのか話して下さい。

エルバー:ダクトは、屋根の上で、鉄の蓋でカバーされていました。この蓋が持ち上げられてから、缶の筒を引っ張り上げ、ガスの結晶をその中に入れました。

 

検事:次に、特別労務班員であったフィリップ・ミューラー(Filip Müller)氏の証言を求めます。どのようにガス処刑が行なわれたのか話して下さい。

ミューラー:チクロンBのガスは穴から投入されて、金属板で作られていた中空の柱に入っていきました。

 

検事:最後に、アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所の金属作業場で働いていた囚人ミチャル・クラ(Michal Kula)氏の証言を求めます。あなたは、チクロンBを投下するための針金網柱を製作したのですね。

クラ:はい、収容所の金属作業場で働いていたときに、ガス室用の偽シャワー、および、チクロンの缶の中身をガス室の投入するための針金網柱を製造しました。これらの柱は、高さ3m70cm平方でした。[2]

 

検事:以上のように、加害者のドイツ人、被害者の元囚人の多くが、その表現に差こそあれ、ガス室の天井には穴があって、そこからチクロンBが投入されたと証言しています。この他にも、この事実を証言している証人が数多くいますが、これだけで十分でしょう。

 

裁判長:目撃証言以外に、チクロンB投下穴、投下筒が実在したことを立証している証拠がありますか。

検事:この点については、ウォータールー大学建築学教授ペルト博士の証言を求めたいと思います。ペルト博士は、アウシュヴィッツ・ビルケナウの建築学的な側面の専門家で、『アウシュヴィッツ:1270年から現在』[3]、『アウシュヴィッツ事件』[4]といった浩瀚な研究書を執筆しています。

検事:目撃証言とは別に、焼却棟ⅡとⅢの死体安置室1の屋根の上に、チクロンB投下穴、投下筒が存在していたことを立証している証拠がありますか。

ペルト:はい、あります。

検事:検事側証拠1と検事側証拠2を提出します。

 

検事側証拠1:焼却棟Ⅱの建設中の写真とその拡大図

 

検事側証拠21944825日の航空偵察写真の拡大図

 

検事:ペルト博士、この2つの証拠を説明してください。

ペルト:証拠1は、1944年冬に、SS隊員が撮影した建設中の焼却棟Ⅱの写真、証拠2は、1944825日にアメリカ軍が撮影した航空偵察写真です。とくに、証拠1の写真のほうが明確なのですが、建物から突き出たかたちで、背の低い四角形の建造物が写っています。それがガス室=死体安置室1です。その屋根の上に4つの箱型のものが写っています。これがチクロンB投下穴、投下筒です。[5]

検事:この2つの写真が、焼却棟Ⅱの死体安置室1の屋根の上にチクロンB投下穴、投下筒が実在していたことを確証しているというのですね。

ペルト:そのとおりです。

検事:ところで、焼却棟ⅡとⅢは、大戦末期にドイツ軍によって爆破・解体されて、今日では、残骸、廃墟だけが残っているだけですが、残っている屋根の残骸にはチクロンB投下穴の痕跡がありますか。

ペルト:残念ながら、その痕跡は残っていません。

検事:ということは、その穴が実在しなかった可能性もあるということですか。

ペルト:いいえ、そうではありません。よく知られているように、1944年秋に、ガス処刑が中止されたのちに、チクロンB投下筒、針金網柱などの、ガス処刑に関係するすべての装置は取り除かれました。そして、屋根板の4つの小さな穴だけが残りました。この穴に型枠を取り付けて、その中にコンクリートを注いで、屋根板を元どおりにしたのです。このために、穴の痕跡が消えてしまい、今日でも、その跡を見ることができないのです。[6]

検事:つまり、チクロンB投下穴は、コンクリートでふさがれたので、屋根板に穴が存在した痕跡がなくなってしまったというのですね。

ペルト:そうです。ですから、今日、穴の痕跡を見ることができないからといって、その穴が実在しなかったということにはならないのです。

 

検事:以上で検事側の立証を終わります。

 

裁判長:弁護側は反証に移ってください。

 

 

弁護側反証

弁護人:まず、検事側証人ニーシュリ氏に対して質問したいと思います。ニーシュリさん、あなたは戦後の1946年に、ご自分の体験をまとめ、それは、今でも、『アウシュヴィッツ:医師の目撃証言』[7]という本になっていますね。

ニーシュリ:はい。

弁護人:先ほどの証言も、その本のなかにありますね。

ニーシュリ:はい。

弁護人:ニーシュリさん、オリジナルのハンガリー語テキストでは「死体は20分で焼却された。1つの焼却棟は15の燃焼室をもっていた。毎日の焼却能力は、5000名である。4つの焼却棟は同様の能力を持っている。20000名がガス室で最後をむかえ、そこから、焼却炉にむかう」とお書きになっていますね。

 

検事:異議あり、本件には直接関係ありません。

弁護人:検事は、多くの証人が、チクロンBは死体安置室1の屋根の穴から投下されたと証言していると述べました。ですから、その証言に信憑性があるかどうかを確証するために、チクロンB投下穴、投下筒以外のテーマでの証言の内容を検証する必要があるのです。

裁判長:異議を却下します。弁護側は反証を続けてください。

 

弁護人:裁判長、ありがとうございます。ニーシュリさん、オリジナルのハンガリー語テキストでは「死体は20分で焼却された。1つの焼却棟は15の燃焼室をもっていた。毎日の焼却能力は、5000名である。4つの焼却棟は同様の能力を持っている。20000名がガス室で最後をむかえ、そこから、焼却炉にむかう」とお書きになっていますね。

ニーシュリ:はい。

弁護人:ビルケナウの4つの焼却棟とは、焼却棟Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴのことですね。

ニーシュリ:はい。

弁護人:それは、同じような焼却能力を持っていたのですね。

ニーシュリ:はい。

弁護人:ですから、1つの焼却棟の能力が5000名とすると、4つの焼却棟全体の焼却能力は、5000×420000名という単純な計算をしたのですね。

ニーシュリ:そのとおりです。

弁護人:焼却棟ⅡとⅢはそれぞれ15の燃料室を、焼却棟ⅣとⅤはそれぞれ8の燃焼室をもっていたのですから、4つの焼却棟の能力は異なっていたのではないでしょうか。5000×4という単純な計算は間違っているのではないでしょうか。

ニーシュリ:・・・、・・・

弁護人:ホロコースト文献でよく引用されている、1943628日のアウシュヴィッツ中央建設局局長の書簡では、ビルケナウの焼却棟の能力は、焼却棟Ⅱ:1440名、焼却棟Ⅲ:1440名、焼却棟Ⅳ:768名、焼却棟Ⅴ:768名、合計4416名となっています。この数字も、実際の能力よりはかなり水増しされていると思いますが、それでも、あなたのあげている20000名の5分の1ほどですね。[8]

ニーシュリ:ですから、その後のドイツ語版や英語版では、その数字は訂正されています。

弁護人:なんですって、オリジナルのハンガリー語テキストにある数字は、その後の情報を踏まえて、別の数字に訂正されているのですか。

ニーシュリ1960年に発表されたドイツ語版では、10000名となっています。

弁護人:常識的に考えれば、目撃証言というのは、一番古い時代のものが、目撃者の一番フレッシュな記憶を残しているはずですね。ニーシュリさんの場合でいえば、1946年に発表されたオリジナルのハンガリー語テキストがそれにあたります。そこには、ビルケナウの4つの焼却棟の焼却能力が20000名と書いてありますね。

ニーシュリ:はい。

弁護人:その後、新しい情報を知ることができたので、10000名に訂正したということですか。

ニーシュリ:そういうことになります。

弁護人:ということは、一番フレッシュな記憶には誤りが含まれていたということになりますね。

ニーシュリ:そういうことになります。

弁護人:だとすれば、「缶の中身、ピンク・ライラック色の粒上のチクロンBが穴に投げ込まれました」というあなたの証言も誤りであるという可能性があるのではないでしょうか。

ニーシュリ:・・・、・・・

 

弁護人:次に、ベンデル証人に質問したいと思います。ベンデルさん、あなたは、1945年のベルゼン裁判、1946年のブルーノ・テシュ裁判のときにも、検事側証人として、出廷していますね。

ベンデル:はい。

弁護人:そのとき、焼却棟ⅡとⅢのガス室の大きさを尋ねられて、「長さ10m、幅4m、高さ1.6m」もしくは「長さ10m、幅5m、高さ1.5m」と答えていますね。

ベンデル:はい。

弁護人:そして、このガス室に1000名が押し込まれたと証言していますね。

ベンデル:はい。

弁護人:ベンデルさん、「1000名を10×4×1.664㎥の空間に押し込むことが可能かどうか」との質問に対して、「ドイツの技術を持ってだけ可能なのです」と答えていますね。

ベンデル:はい。

弁護人:「半立法メートルのスペースに10名を押し込むことができると真面目にお考えなのですね」との質問に対して「アウシュヴィッツでガス処刑された400万人が証人です」と答えていますね。

ベンデル:はい。

 

弁護人:ここで、ペルト博士にお尋ねしますが、焼却棟Ⅱの死体安置室1の大きさはどれほどですか。

ペルト:現存の設計図、青写真によれば、長さ30m、幅7m、高さ2.4mです。

弁護人:ついでにお尋ねしますが、アウシュヴィッツ・ビルケナウのガス室の死亡者は何名ぐらいとされていますか。

ペルト:研究者によって多少の異同はありますが、100万前後でしょう。

弁護人400万という数字は、どこから出てきたのですか。

ペルト:ソ連・ポーランド調査委員会報告です。

 

弁護人:ベンデルさん、あなたは実際にガス室やガス処刑を目撃したのですか。

ベンデル:目撃しました。

弁護人:ガス処刑の様子について、「人々はそこにひどく詰め込まれたので、その上に一人を詰め込むことさえも不可能であった。SS隊員にとっては、これらの部屋の詰め込まれた人々の頭の上に子供を投げ込むことは大きな楽しみであった」と証言していますね。

ベンデル:はい。

弁護人SS隊員が犠牲者の頭の上に子供を投げ込んだのを目撃したというのですね。

ベンデル:はい。

弁護人:ガス室の高さを「1.4m」「1.5m」と証言していますね。

ベンデル:はい。

弁護人:普通の大人の背の高さはどのくらいですか。

ベンデル:人によって違うと思います。

弁護人:常識的に考えて、1.4mよりは高いですね。

ベンデル:そう思います。

弁護人:もう一度お尋ねしますが、本当に、SS隊員が、高さ1.4ないし1.5mの部屋に押し込められた犠牲者の頭の上に子供を投げ込んだのを目撃されたのですね。

ベンデル:・・・、・・・

 

弁護人:ベンデルさん、あなたは、焼却棟ⅣとⅤでのガス処刑について、「これは2分続き、その後完全な静寂がやってきた。5分後にドアが開かれたが、もう20分待たないと入ることはできなかった。その後、特別労務班が仕事をはじめた」と証言されていますね。

ベンデル:はい。

弁護人2分間で犠牲者が死亡し、5分後にドアが開けられ、そのあと20分たってから、特別労務班員が室内に入って、犠牲者の死体を引き出したのですね。

ベンデル:そういうことになります。

 

弁護人:もう一度、ペルト博士にお尋ねします。焼却棟ⅣとⅤには、機械的な換気システムが設置されていたのでしょうか。

ペルト:焼却棟ⅡとⅢには設置されていましたが、焼却棟ⅣとⅤには設置されていませんでした。

弁護人:焼却棟Ⅳと焼却棟Ⅴでは、窓やドアを開いて通風をよくする自然換気だったのですね。

ペルト:そうです。

弁護人:チクロンBを使った燻蒸害虫処理に関する、当時のマニュアルによると、処理作業員の安全を確保するには、どのくらいの時間自然換気を行わなくてはならないことになっていますか。[9]

ペルト:少なくとも、24時間です。

 

弁護人:ベンデルさん、もう一度お尋ねします。本当に、ガス室とガス処刑を目撃したのですか。

ベンデル:・・・、・・・

弁護人:ガスがガス室の天井から投げ込まれるのを本当に目撃したのですか。

ベンデル:・・・、・・・

 

弁護人:次に、ミューラー証人に質問したいと思います。あなたは、1979年に『アウシュヴィッツの目撃者:ガス室での3年間』[10]という本を出版していますね。

ミューラー:はい。

弁護人:ということは、ガス室とガス処刑をご自身の目で目撃したということですね。

ミューラー:はい。私の本の題名『アウシュヴィッツの目撃者』が意味しているとおりです。

弁護人:それでは、この本『アウシュヴィッツの目撃者』をもとに、質問させていただきます。よろしいですか。

ミューラー:はい。

弁護人:ガス処刑後のガス室内での作業を描いた12頁からのところに、「シュタルクが『働け、死体から衣服をはげ』と叫び、ひどく殴りつけてきたので、私は作業に移った。私の前に、女性の死体があった。震える手を広げながら、私はこの女性のストッキングを脱がし始めた。…少し休憩したかった。シュタルクを注意深く見つめ、彼の目に触れないときに、一息入れる機会を待っていた。彼が焼却室に向かったとき、その一瞬がやってきた。目の片隅に、食べ物が入った半開きのスーツケースが写った。忙しいふりをしながら、片手で服を脱がし、もう一方の手でスーツケースをまさぐった。片方の目でドアのほうを見ていると、シュタルクが突然戻ってきたので、急いで、いくつかの三角形のチーズとケシの種ケーキを引っつかんだ。汚れた、血に染まった指でケーキを砕いて、がつがつと食った」とあります。これは、ガス処刑直後、死体をガス室から引き出しているときの様子ですね。

ミューラー:はい。

弁護人ガスマスクはしていたのですか。

ミューラー:していませんでした。

弁護人:危険ではなかったですか。

ミューラーSS隊員は、私たちユダヤ人労務班員のことなど気にかけていませんでした。

弁護人:ガスがまだ残っていたはずですね。

ミューラー:そうかもしれません。

弁護人:死体にもガスが付着していたはずですね。

ミューラー:そうかもしれません。

弁護人:ガスがまだ残っており、死体にガスが付着している状況の中で、ものを食べたのですか。

ミューラー:それほど、私たちは飢えていたのです。

 

弁護人4647頁に、「SSの医師たち、とくに、SS大尉キットとSS中尉ウェーバーは、ときどき焼却棟を訪れていた。彼らが訪れているときには、屠殺場で働いているかのようであった。彼らは牛の売人のように、まだ生きている男性と女性の太ももやふくらはぎにさわり、犠牲者が処刑される前に、極上の品を選別した。処刑が終わると、選ばれた死体が台の上に上げられた。医師たちは、太ももやふくらはぎからまだ温かい肉を切り取り、それを容器の中に投げ込んだ。射殺された人々の筋肉はまだ伸びたり、縮んだりしており、バケツを飛び上がらせた」とありますね。

ミューラー:はい。

弁護人SSの医師たちが解剖した犠牲者の足が投げ込まれたバケツが、飛び上がったのを目撃したのですね。

ミューラー:はい、目撃しました。

 

弁護人113114頁には、「薄暗い明かりのついたガス室の雰囲気は、緊張した絶望的なものだった。死が切迫していた。数分後のことであった。われわれについての記憶、痕跡はまったく残らないであろう。もう一度、人々は抱き合った。親たちは自分たちの子供を激しく抱きしめたので、私の心は張り裂けそうになった。突然、数名の裸の若い女性が私のところにやってきた。彼女たちは、黙って私の前に立ち、考え込みながら私をじっと見つめ、激しく頭を揺らした。ついに、その一人が勇気を奮い起こして、私に話しかけた。『あなたが自分の意志で私たちとともに死ぬことを選択しました。その決意は無意味であると伝えに来ました。私たちは死ななくてはなりません。しかしあなたには、助かるチャンスがあります。収容所に帰って、私たちの最後の瞬間の様子を伝えてください。彼らにいっさいの幻想を捨て去ることを説明してください。彼らには子供たちがいないので、それは簡単なことでしょう。多分、あなたはこのおそろしい悲劇を生きのびることでしょうから、何が起こったのかをすべての人々に伝えてください。もう一つあります。私が死んだら、金のネックレスを取り、それをボーイフレンドのサーシャに渡してください。彼はパン屋さんで働いています。ヤナからの愛と伝えてください。すべてが終われば、ここで私を見いだすでしょう。』彼女は、私の立っているコンクリートの柱の隣の場所を指さした。これが彼女の最後の言葉だった。私は、死を目前とした彼女の冷静さ、超然さに驚き、心を大きく動かされた。そして、彼女のさわやかさにも。私が彼女の心動かされる話に答える前に、彼女は私の手を取って、ガス室のドアの前に引きずっていった。彼女たちは私をドンと押し、私はSS隊員の真ん中に出た。クルシュスが最初に私を見つけ、すぐ棍棒で私を殴った。私は床に倒れ、立ち上がると、彼の拳骨で殴り倒された。34回目に立ち上がると、クルシュスは私に叫んだ。『糞をお前の間抜けな頭の中に入れろ。お前がどれほど生きられるのか、いつ死ぬのかを決めるのはわれわれだ。お前ではない。炉にションベンを引っかけろ。』そして、彼は私の顔をひどく殴ったので、私はドアのところへよろめいた」とありますね。

ミューラー:はい。

弁護人:自殺を決意して、女囚たちと一緒にガス室に紛れ込んだけれども、ガス処刑のことを人々に伝えてくれと説得され、彼女たちにガス室から押し出されたというのですね。

ミューラー:はい。ですから、生き残って、証言しているのです。

 

弁護人130頁と136頁には、焼却壕での死体焼却について、「二つの壕は長さ4050m、幅約8m、深さ2mであった。しかし、この苦悶の場所はまだ、まったく使用可能ではなかった。粗雑な作業が終わると、あくどい絶滅実行人が自分の考えで、それを洗練されたものとした。エックハルト[オット・モル]が助手を連れて、壕の中に降り、2530cmの幅の筋を引いた。それは、真ん中から端まで長く引かれていた。中央からゆるい坂となっている溝を掘ることによって、壕の中で燃えている死体から脂肪を集め、それを溝の両端にある二つのなべに集めることができたのである。…死体が山詰めにされていたので、空気を外から送り込むことができなかった。このために、火を燃え立たせる係りであるわれわれは、燃えている死体に絶えず、石炭や木材アルコールを注がなくてはならなかった。それに加えて、大量に集められた人間の脂肪が、壕の両側の二つのなべの中で煮えたぎっていた。じゅうじゅうという脂肪が長い曲がったロッドの上にあるバケツに汲み取られ、壕に注がれ、炎をいっそう燃え立たせて、ぱちぱちといわせた」とありますね。

ミューラー:はい。

弁護人:燃え上がる死体から流れ出る脂肪をバケツに集めて、それを焼却壕に注ぐことで、いっそう火力を強めたというのですね。その光景を目撃したのですね。

ミューラー:はい、実際にこの目で見ました。

 

弁護人:陪審員の皆さん、ミューラー氏の著書『アウシュヴィッツ目撃者』にある、さまざまな奇怪な話を信用できるでしょうか。もしも、信用できないとすれば、「チクロンBのガスは穴から投入されて、金属板で作られていた中空の柱に入っていきました」というミューラー氏の証言も信用できないことになります。

 

弁護人:次に、ドイツ側の設計図面から、焼却棟Ⅱの平面図と断面図を弁護側証拠1として提出します。平面図のⓐが死体安置室1、検事側のいうところの「ガス室」、ⓑが死体安置室2、検事側のいうところの「脱衣室」です。ⓕが死体安置室1の支柱ですが、この図面に記されている柱は、この支柱だけであり、検事側のいうところの「針金網柱」もしくは「中空の柱」はこの図面には存在していません。断面図にも、ⓕの支柱が記されているだけで、チクロンB投下穴や、屋根から突き出ていたとされる「針金網柱」の「筒」=「チクロンB投下筒」も記されてはいません。したがって、この図面から判断する限り、チクロンB投下穴、投下筒、針金網柱は実在していなかったといえます。

 

弁護側証拠1:焼却棟Ⅱの平面図と断面図

 

弁護人:次に、ペルト証人に質問します。まず、弁護側証拠2を提出いたします。

 

弁護側証拠2:検事側証人ペルトの著作『アウシュヴィッツ事件』に掲載されている焼却棟Ⅱおよびその死体安置室1の図版[11]

 

 

 

弁護人:ペルト博士、弁護側証拠2は、あなたの著書『アウシュヴィッツ事件』190頁と194頁に掲載されている図版ですね。

ペルト:はい。

弁護人:左側が焼却棟Ⅱ全体の図面で、右側が死体安置室1の内部図面ですね。

ペルト:はい。

弁護人:左の図版と、先に提出した弁護側証拠1の平面図とを比較して見ましょう。あなたの図面の⑧が、平面図のⓑすなわち、死体安置室2にあたりますね。

ペルト:はい。

弁護人:⑧の部屋について、「死体安置室2194212月から脱衣室」[12]とコメントしていますね。

ペルト:はい。

弁護人:「脱衣室」という単語は、ドイツ側の設計図面に登場しているのですか。

ペルト:いいえ。

弁護人:あなたの図面の⑨が、平面図のⓐすなわち、死体安置室1にあたりますね。

ペルト:はい。

弁護人:⑨の部屋について、「死体安置室1194212月からガス室」[13]とコメントしていますね。

ペルト:はい。

弁護人:「ガス室」という単語は、ドイツ側の設計図面に登場しているのですか。

ペルト:いいえ。

弁護人:きわめて、重要な点ですので、再度、確認しておきますが、「ガス室」、「脱衣室」という単語はドイツ側の設計図面には登場していないのですね。

ペルト:はい、登場していません。

 

弁護人:ペルト博士、死体安置室1の中央に直線状に並んでいるのは何ですか。

ペルト:死体安置室1の屋根を支える支柱です。

弁護人:その支柱は、何本あったのですか。

ペルト9本です。

弁護人:それは、ドイツ側の設計図面にも描かれていますか。

ペルト:はい。平面図のⓕにあたります。

 

弁護人:その9本の支柱のあいだに、少々ジグザグする並び方で、網格子で作られているような柱が描かれていますが、それは何ですか。

ペルト:針金網柱です。

弁護人:それは何の目的で設置されていたのですか。

ペルト:ガス室の天井の穴から、チクロンBの丸薬を投下するためです。チクロンBの丸薬はこの針金網柱をとおっていったのです。

弁護人:右側の死体安置室1の内部図面にも描かれていますね。

ペルト:はい、中央の支柱のあいだに、ジグザグ状に配置されている網格子でできた柱です。

弁護人:その針金網柱は、何本あったのですか。

ペルト4本です。1番目、3番目、5番目、7番目の支柱の近くに配置されていました。[14]

 

弁護人:私の目の誤りかもしれませんが、ドイツ側の設計図面には、針金網柱の跡を見つけることができないのですが。屋根の中央部を走っている支柱の跡しか発見できないのですが。針金網柱の跡は、ドイツ側の設計図面のどこにあるのですか。

ペルト:ドイツ側の設計図面には記載されていません。

弁護人:すると、勝手に想像して、付け加えたのですか。

ペルト:勝手に想像して、付け加えたのではありません。そのような針金網柱が存在したというタウバー氏やクラ氏の証言にもとづいて付け加えたのです。

弁護人:やはり、きわめて重要な点ですので、もう一度確認しておきます。ペルト博士、あなたは、ドイツ側の設計図面や青写真には記載されていない針金網柱を、目撃証言にもとづいて、ご自分の図面に付け加えたのですね。

ペルト:そのとおりです。[15]

 

弁護人:ペルト博士、焼却棟Ⅱ、Ⅲは現在、廃墟のかたちでしか残っていませんが、死体安置室1の屋根の残骸に、チクロンB投下穴が残っているかどうか現場検証しましたか。

ペルト:何回も、現場に行ったことがありますし、チクロンB投下穴がないかどうか調べました。

弁護人:その結果はどうでしたか。

ペルト:チクロンB投下穴の痕跡を発見することができませんでした。

弁護人1つも発見できなかったのですね。

ペルト:はい。崩壊したコンクリート屋根の上には、1つも発見できませんでした。[16]

弁護人:そのような穴などはもともと実在しなかったのではありませんか。

ペルト:そうではありません。1944年末にガス処刑中止命令が出されると、焼却棟の死体安置室1でガス処刑が行なわれたことを示す証拠はすべて取り除かれました。このとき、チクロンB投下穴、投下筒、針金網柱も取り除かれたのです。

弁護人:針金網柱を破壊することはできても、痕跡も残さず屋根の穴を取り除くことは難しいのではないでしょうか。

ペルト:屋根の天井の穴のところに、型枠を取り付けて、そこにコンクリートを流し込んだのです。この結果、死体安置室1の屋根は、チクロンB投下穴が開けられる以前の状態に「復元」されたのです。[17]

弁護人:まったく痕跡を残さずに、チクロンBの穴をコンクリートでふさぐという作業は、難しいのではないでしょうか。まず、型枠を組んでコンクリートを流し込み、乾燥したのちに型枠を取り除くとすると、穴とコンクリート・ブロックをどのように固定させたのでしょうか。そのままではブロックは外れてしまいます。どのように、ブロックと穴を固着させたのでしょうか。

ペルト:・・・、・・・

弁護人:もし何らかの技術を使って、穴にコンクリート・ブロックを固定させたとしても、穴の周辺のセメント資材とブロックのセメント資材がまったく同質でなければ、それがふさがれた跡であるとすぐにわかってしまうのではないでしょうか。そのような事例は、アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所のほかの建物の改築のあとを見ればすぐにわかります。穴をふさいだとしても、ふさがれた場所の色や質感が異なっているために、ガス処刑の痕跡を完全に取り除くことはできないのではないでしょうか。

ペルト:・・・、・・・

弁護人:また、まったく痕跡を残さずに、穴をコンクリート・ブロックでふさいだとしても、そのブロックは鉄筋などで周囲とは固着されていないので、爆破のときに、そのブロックは、外に飛び出してしまうのではないでしょうか。[18]

ペルト:・・・、・・・

弁護人:ペルト博士、もう一度お尋ねしますが、70cm平方の穴を、まったく痕跡も残さずに、コンクリートでふさぐことはできるのでしょうか。

ペルト70cm平方の穴ではありません。針金網柱は同心円状の構造になっていました。だから、中央部分は小さかったのです。このために、屋根にある穴は、比較的小さなパイプのようなものであったに違いありません。[19] ですから、この小さな穴をコンクリートでふさぐことはそんなに難しくなかったのです。

弁護人:それでは、あなたも依拠しているタウバー氏やクラ氏の証言と矛盾しているではありませんか。

ペルト:タウバー氏やクラ氏は、針金網柱の外側の大きさのことを証言しているのであって、屋根の穴につながっている中心部は、それほど大きくなかったのです。

弁護人:その説にはどのような根拠があるのですか。タウバー氏、クラ氏その他の目撃者の証言に、そのような事実が述べられているのですか。

ペルト:二人の証言はそのような事実を述べていませんが、そのように推測するのが論理的だということです。

弁護人:すると、死体安置室1の上にあったチクロンB投下穴、投下筒は70cm×70cmよりも小さく、小さなパイプのような穴であったというのですね。

ペルト:小さな穴の上に投下筒のようなものがついていたので、小さなパイプの穴よりは大きいでしょうが、70cm平方よりは、かなり小さなものでしょう。

弁護人:すると、もし、それを上空から、もしくは側面から写真撮影した場合、とくに、航空偵察写真の場合、その穴や筒は、かなり小さいものとして撮影されることになりますね。

ペルト:そういうことになります。

弁護人:検事側証拠2の写真をご覧ください。この写っている死体安置室1の黒いパッチのようなものは、小さなものでしょうか。

ペルト:・・・、・・・

 

弁護人:ペルト博士、チクロンB投下穴は、1944年末にガス処刑中止命令が出されると、犯罪の痕跡を消すために、コンクリートでふさがれたのですね。

ペルト:そのとおりです。

弁護人:その1ヵ月後の、19451月に、焼却棟Ⅱは爆破されたのですね。

ペルト:そのとおりです。

弁護人:ということは、ドイツ人は、ソ連軍が迫っている最後の瞬間に、ガス処刑の痕跡を消すために、まず、チクロンB投下穴の跡を苦労して消し去って、死体安置室1の屋根を元どおりに復元し、その1ヵ月後に、今度は、焼却棟Ⅱ全体を爆破したということになりますね。

ペルト:そういうことになります。

弁護人:アウシュヴィッツのSS隊員たちは、ソ連軍の接近という状況の中で、ガス処刑という犯罪がばれないかという恐怖にかられながら、セメントの入ったバケツを持って、これから爆破されようとする屋根の上で、大慌てで作業していたということになりますね。そのようなことがありうるでしょうか。

ペルト:・・・、・・・

 

弁護人:ペルト博士、検事側証拠1の写真についてお尋ねします。死体安置室1の屋根の上にある突起物、もしくは箱のようなものは何ですか。

ペルト:チクロンB投下穴の上にある投下筒です。

弁護人:そのように断定なさる根拠は何ですか。

ペルト:タウバー氏などの目撃証人が、ガス室の屋根にはチクロンB投下穴があったと証言しているからです。

弁護人:あなたの図面、すなわち弁護側証拠2の左側の図面によると、針金網柱は、建物中央の支柱に沿って、1番目、3番目、5番目、7番目の支柱の近くに、ジグザグ状に配置されていたことになっています。そうですね。

ペルト:はい。

弁護人:この写真では、右側の1つをのぞいて、3つが屋根の南半分に配置されています。あなたの作成した図面や、航空写真とも矛盾しているのではないですか。

ペルト:・・・、・・・

弁護人:死体安置室1の幅は8mから9mほどです。それを基準にして、屋根の上の突起物、もしくは箱のような物体の幅を計って見ますと、55cmから75cmほどになります。さらに、一番右の物体はかなり小さいように見えます。ペルト博士、チクロンB投下筒の大きさはばらばらだったのでしょうか。[20]

ペルト:・・・、・・・

弁護人:もちろん、写真の誤差はあるでしょうが、これが、針金網柱がそのまま屋根の上に突き出したものと考えると、この大きさは、70cm平方というクラ氏の証言に近くなります。しかし、あなたはさきほど、70cm平方よりもかなり小さいものであったと証言していますね。

ペルト:・・・、・・・

 

弁護人:弁護側証拠3を提出します。これは、1943120日から22日のあいだに、建設中の焼却棟ⅡをSS隊員が撮影したものです。

 

弁護側証拠3:建設中の焼却棟Ⅱ(1943120日)

 

弁護人:ペルト博士、この写真は、建設中の焼却棟Ⅱを撮影したものですね。

ペルト:そうです、SS隊員が撮影しました。

弁護人:右下の箱型のような建造物が、死体安置室1ですね。

ペルト:そのとおりです。ガス室です。

弁護人:死体安置室1の屋根の上に、検事側証拠1の写真に写っていた突起物もしくは箱のような物体が見えますか。

ペルト:見えません。

弁護人:ということは、あなたのいうところのチクロンB投下筒など実在していなかったのではないでしょうか。

ペルト:そんなことにはなりません。説明は簡単です。ガス室、すなわち死体安置室1の屋根の上には、土が盛られましたので、この筒はかくれてしまったのでしょう。そして、その後さらに雪が降ったので、この小さな筒はまったく見えなくなったのです。[21]

弁護人:ということは、死体安置室1にチクロンB投下穴と投下筒を作る工事が終了して、その上に土がかけられ、さらに、その上に雪が積もったので、弁護側証拠3の写真には、投下筒が見えないということですね。

ペルト:そのとおりです。

弁護人:機関車の写っている検事側証拠1の写真を見ると、死体安置室1の屋根には盛り土があるようには見えませんが。

ペルト:この写真が撮影された後に、土が盛られ、その後で、雪が降ったのです。それが、弁護側証拠3の写真です。

弁護人:しかし、検事側証拠1の写真が撮影されたのは、194329日から11日のあいだであり、弁護側証拠3の写真よりも数週間後のことなのですが。

ペルト:本当ですか。

弁護人:本当です。投下筒が写っていない弁護側証拠3の写真の方が、箱のような物体を写している検事側証拠1の写真よりも前に撮影されたのです。あなたの説明は、反対の前提にもとづいているのではありませんか。

ペルト:・・・、・・・

弁護人:また、弁護側証拠3の写真をよくご覧ください。焼却棟の屋根や死体安置室1の屋根を見ればわかりますように、チクロンB投下筒を覆い隠してしまうほど、雪が積もっているようには見えませんが、どうでしょうか。

ペルト:・・・、・・・。少し、考えさせてください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

弁護人:お考えいただきましたでしょうか。弁護側証拠3の写真には、いわゆるチクロンB投下筒が写っていないのはなぜですか。

ペルト:この2つの写真を検討してみましたが、前の私の説明は間違っていました。弁護側証拠3の写真にチクロンBの投下筒が写っていないのは、それがまだ建築されていないからです。穴は開けられていましたが、それは、板でふさがれていました。この写真の撮影の後に、チクロンB投下筒が建築され、それが検事側証拠1の写真なのです。[22]

弁護人:重要な点ですので、もう一度確認します。弁護側証拠3の写真にはチクロンB投下筒は写っていないのですね。

ペルト:写っていません。この写真が撮影されたあとに、作られたのです。

弁護人1943120日もしくは22日以降に、チクロンB投下筒の設置作業が開始されて、その作業は29日もしくは11日までに完了したというのですね。

ペルト:そのとおりです。

弁護人:そのような作業が行なわれた証拠、たとえば、作業日誌などがありますか。

ペルト:ありません。

弁護人:まったくの憶測なのですね。

ペルト:憶測ではありません。検事側証拠1の写真にもとづいています。

弁護人:そのような結論を、この証言中にだされたのですね。

ペルト2つの写真の撮影日時と写しだされているものを、検討した結果、そのような結論に至りました。

弁護人:僭越ですが、2つの写真の撮影日時をお教えしたのは、私ではありませんか。

ペルト:・・・、・・・

弁護人:ペルト博士、箱のような物体がチクロンB投下筒であるという先入観を廃して、ごく普通に考えましょう。焼却棟Ⅱは、2つの写真が撮影された当時、まだ建築中であったのですね。

ペルト:そのとおりです。

弁護人:だとすると、さまざまな建設資材が周囲に散在していたはずですね。

ペルト:はい。

弁護人:とすると、検事側証拠1の写真に写っている突起物、もしくは箱のような物体は、建設資材、たとえば、屋根に塗る防水剤などの入ったドラム缶であったと考えることはできないでしょうか。

ペルト:その可能性を否定しません。[23]

 

弁護人:ペルト博士、検事側証拠2の写真についてお尋ねします。これは、アメリカ軍が1944825日に撮影した航空偵察写真の拡大図ですね。

ペルト:そのとおりです。

弁護人:焼却棟Ⅱの死体安置室1の屋根の上に4つの黒いパッチが写っていますが、これは何ですか。

ペルト:チクロンB投下筒です。

弁護人:死体安置室1の長さはどのくらいでしたか。

ペルト30メートルほどです。

弁護人:そうすると、長さ30mほどの死体安置室1と黒いパッチの長さを比べてみると、黒いパッチは4mほどになりますね。

ペルト:正確な数字ではありませんが、それに近いでしょう。

弁護人:クラ氏はチクロンB投下筒を70cm平方、あなたは、それよりもかなり小さいものであったと証言しています。しかし、写っている4つの黒いパッチはそれよりもはるかに大きいもののようですね。

ペルト:チクロンB投下筒とその影が写っているのです。

弁護人:なるほど、投下筒プラスその影というわけですね。

ペルト:そのとおりです。ですから、4mほどの長さのパッチとなっているのです。

弁護人:写真の右端に写っている、右上がりの太い黒い線は何ですか。

ペルト:焼却棟の主煙突の影です。

弁護人:死体安置室1に対してどのくらいの角度ですか。

ペルト45度くらいです。

弁護人:同じ位置で、同じ太陽に照らされれば、物体の影の方向は、いつも同じですね。

ペルト:常識的には、そのとおりです。

弁護人:黒いパッチがチクロンB投下筒とその影であるとすると、主煙突の影と同じ45度の方角になっていなくてはなりませんね。

ペルト:常識的には、そのとおりです。

弁護人:写真に写っている4つの黒いパッチは、45度の方角になっているでしょうか。

ペルト:・・・、・・・

弁護人:私には、45度の方角になっているどころか、それぞれ不規則な方角になっているように見えますが。ペルト博士、いかがでしょうか。

ペルト:・・・、・・・

弁護人:それでも、4つの黒いパッチは、チクロンB投下筒とその影であるとおっしゃるのですか。

ペルト:・・・、・・・

弁護人:もう1つお尋ねします。焼却棟の主煙突はどのくらいの高さでしたか。

ペルト15mほどです。

弁護人:先ほどと同じように影の長さを計測してみると20mほどになります。つまり、物体の実際の高さと影の長さの比は1520、すなわち34になります。それでよろしいでしょうか。

ペルト:そうなるでしょう。

弁護人:黒いパッチがチクロンB投下筒プラスその影であるとすると、この比をあてはめると、チクロンB投下筒の高さは3mほどになりますが、それでよいでしょうか。[24]

ペルト:計算上はそのようになります。

弁護人SS隊員は、死体安置室1の投下穴の上に、必要もない3mの高さのチクロンB投下筒を建設して、そして、チクロンの缶を持って、階段を使って筒の頂上にまでたどり着き、そして、カバーを開け、そのあと、チクロンBの缶を開けて、丸薬を投下したというのですね。合理的作業とは思えないのですが。

ペルト:・・・、・・・

弁護人:お答えいただけないのでしょうか。この問題は、非常に重要なのです。もし、チクロンB投下穴、投下筒が実在しなかったとすれば、焼却棟ⅡとⅢでは、死体安置室1の天井にある穴からチクロンBの丸薬を投下することでガス処刑が行なわれたという証言は、すべて偽証なのですから。そのような証言を行なっている目撃証人は、すべて嘘をついていることになるのですから。ペルト博士、いかがでしょうか。

ペルト:・・・、・・・

弁護人:以上で弁護側の反証を終わります。

 

裁判長:以上で、チクロンB投下穴、投下筒問題についての検事側立証、弁護側反証を終わります。

 

 

Ⅱ チクロンB投下装置問題

裁判長:チクロンB投下装置、すなわち針金網柱が実在したことについて、検事側の立証を求めます。

 

検事側立証

 

検事:まず、アウシュヴィッツ・ビルケナウの特別労務班員であった囚人タウバー氏の証言を求めます。タウバーさん、チクロンBの丸薬は、ガス室の天井にあった穴から、どのようにしてガス室内に投下されたのですか。

タウバー:ガス室の屋根は、中央を走っているコンクリートの柱で支えられていました。これらの柱のどちらかの側面に4つの別の柱、各側面ごとに2つの柱がありました。屋根を通っていくこれらの柱の側面は、太い針金網でした。この網格子の内側に、別の細い網があり、そのまた内側にさらに細い第三の網がありました。この最後の網かごの内側に、可動性の缶があり、その缶は、ガスを放出した丸薬を取り戻すために、ワイヤーで引き出されました。[25]

検事:ガス室の支柱の両側に2本ずつ、計4本の柱があったというのですね。

タウバー:はい、そのとおりです。

検事:その柱は、針金網でできており、三重の構造になっていて、一番内側に、チクロンBの丸薬を入れるかごのようなものがあって、それを動かして、ガス室にチクロンBの丸薬を入れたり、出したりしたというのですね。

タウバー:そのとおりです。

 

検事:次に、ニーシュリさん、ガス室の屋根の穴から投下されたチクロンBの丸薬はどうなったのですか。

ニーシュリ:丸薬はガス室には散らばりませんでした。網格子のチューブの中を落ちていって、空気に触れると、ガスをすぐに放出したからです。[26]

 

検事:次に、ベンデルさん、ガス室の屋根の穴から投下されたチクロンBの丸薬はどうなったのですか。

ベンデル:これらのガス室の中央には、外部バルブをもつ2つの網のチューブが天井から下がっており、その中にガスが投入されました。[27]

 

検事:次に、ミューラーさん、ガス室の屋根の穴から投下されたチクロンBの丸薬はどうなったのですか。

ミューラー:金属板でできた中空の柱には、規則的に穴が開いており、その柱の中には、丸薬結晶をできる限り均等に散布するために、螺旋状のものが天井から床にまで走っていました。[28]

 

検事:次に、アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所の金属作業場で働いていたクラ氏の証言を求めます。あなたは、チクロンBを投下するための針金網柱を製作したのですね。

クラ金属作業場は、ガス室用の偽シャワー、およびチクロンの缶の中身をガス室の投入するための針金網柱を製造しました。これらの柱は、高さ3mほど、70cm平方でした。この柱は6つの針金網で構成されており、それぞれの網の中に作られていました。内部の網は3mmの太い針金で作られており、50mm×10mmの鉄のコーナー・ポストに固定されていました。鉄のコーナー・ポストは柱の各隅にあり、同じようなやり方で、頂上部分でつながっていました。針金網の格子はそれぞれ45mm平方でした。二番目の網も同じように作られており、一番目の網から150mm離れて、柱の内部に作られていました。これらの網もその隅で、鉄のポストをつかってつながれていました。この柱の三番目の部品は可動式でした。それは、亜鉛板で作られた、150mm平方ほどの中空の柱でした。頂上部分は金属板で閉じられており、底の部分は四角形でした。これらの柱の側面から25mm離れたところに、金属腕木で支えられた金属コーナーがはんだ付けされていました。このコーナーの上に、1mm平方ほどの格子をもつ細かい網が置かれていました。この網は柱の底の所で終わり、ここから、金属線が網でできた[収集籠]の中を、柱の頂上にまで走っていました。チクロンの缶の中身は、頂上から分散器の上に投入され、分散器によって、柱の四隅に均等にチクロンがばら撒かれました。ガスが放出されると、真ん中の柱全体が取り出されました。[29]

 

検事:なかなか複雑な構造ですが、この針金網柱については、プレサック証人に説明していただこうと思います。プレサック氏は、『アウシュヴィッツ:ガス室の技術と作動』[30]、『アウシュヴィッツの焼却棟:大量殺戮装置』[31]などの研究書を上梓されたフランス人研究者です。プレサックさん、この針金網柱の構造について説明していただけますか。

プレサック:針金網柱の復元図があります。

検事:検事側証拠3を提出します。これは、プレサック氏の著書『アウシュヴィッツ:ガス室の技術と作動』487頁に掲載されているものです。

 

検事側証拠3:針金網柱の復元図[32]

 

検事:クラ氏の証言にあるように、針金網でできた筒状の柱が、三重の構造になっており、一番内側のかごのようなものが上下可動式になっていたというのですね。

プレサック:そのとおりです。

検事:この針金網柱については、タウバー氏やクラ氏の目撃証言以外に、その実在を示す証拠がありますか。

プレサック:はい、あります。焼却棟Ⅱの装備品目録なかに手書きで"4 Drahtnetzeinschiebvorrichtungen""Holzblenden"という備品が書き込まれています[33]。文字通り翻訳すれば「4つの針金網投下装置」と「木製カバー」となるかと思います。前者がチクロンB投下装置で、後者は、チクロンB投下穴、投下筒のカバーであったと思います。

 

検事:ペルト博士にも、この針金網柱についての証言を求めます。ペルト博士、どのようなものだったのでしょうか。

ペルト:針金網柱の復元図があります。

検事検事側証拠4を提出します。これは、ペルト氏の著書『アウシュヴィッツ事件』208頁に掲載されているものです。

 

検事側証拠4:針金網柱の復元図[34]

 

検事:どの資料に依拠して、この復元図を作成されたのですか。

ペルト:タウバー氏とクラ氏の証言にもとづいてです。

検事:詳しく説明してください。

ペルト:この柱は3つの部分から成り立っています。(A)は、柱全体を安定させるための、固定された外側の柱です。(B)は、固定された内側の柱です。(C)は、可動式のパーツで、底のところにカップがありました。(D)は、ガス室の支柱です。

検事(C)の可動式パーツは何のために使われたのですか。

ペルトSS隊員は、チクロンBの丸薬を底にあるカップにいれたのちに、この可動式パーツをガス室のなかに下ろしていきました。丸薬からガスが放出され、犠牲者が死んでしまうと、SS隊員は、まだガスを放出している丸薬の入ったカップのあるこの可動式パーツを引き上げたのです。

 

検事:以上で検事側立証を終わります。

 

裁判長弁護側は反証に移ってください。

 

 

弁護側反証

弁護人:検事側は、チクロンB投下穴、投下筒の立証と同じように、針金網柱を目撃したという証人を出廷させることで、あたかも、針金網柱が実在したかのような印象を与えようとしています。しかし、これらの証人たちの発言には信憑性が欠けていることをすでに立証していますので、彼らの証言内容には、これ以上立ち入る必要はないと思います。ですから、研究者であるプレサック氏にお尋ねしたいと思います。あなたは、タウバー氏とクラ氏の証言以外に、チクロンB投下装置の実在を証明する証拠として、焼却棟Ⅱの装備品目録の手書きの項目をあげましたね。

プレサック:はい。

弁護人:焼却棟Ⅱの装備品目録と証言されましたが、焼却棟Ⅱのどの部屋の装備目録ですか。正確にお答えください。

プレサック:死体安置室2の装備品です。

弁護人:死体安置室2は、ガス室ではなく、脱衣室でしたね。

プレサック:そのとおりです。死体安置室2は脱衣室でした。

弁護人:ということは、チクロンB投下装置はガス室ではなく、脱衣室の装備品だったということですか。

プレサック:この書類を記載した事務員が間違えたのです。死体安置室1の装備品であったのを、死体安置室2の装備品の場所に書いてしまったのです。

弁護人:事務員が間違えて記載してしまったとおっしゃるのですか。

プレサック:そうです。

弁護人:その根拠は何ですか。

プレサック:チクロンB投下装置は、ガス室の装備品であるからです。

弁護人:チクロンB投下装置がガス室の装備品であるという根拠は何ですか。

プレサック:タウバー氏とクラ氏がそのように証言しているからです。

弁護人:それでは、事務員が間違えて記載したという根拠にはならないと思いますが。

プレサック:そうですか。

弁護人:オリジナルの文書資料では、もともと死体安置室2、いわゆる「脱衣室」の装備品として記載されているものを、根拠のない憶測だけで、死体安置室1、いわゆるガス室の装備品としてしまうのは、学問的に不誠実なやり方ではないでしょうか。

プレサック:・・・、・・・

弁護人:もう一度、事実だけを確認しておきます。事務員が間違って記載したというあなたの憶測は別として、「4つの針金網投下装置」、「4つの木製カバー」という単語が記載されているのは、焼却棟Ⅱの死体安置室1、すなわちガス室の装備品目録ではなく、死体安置室2、すなわち脱衣室の装備品目録なのですね。

プレサック:そうです。しかし、事務員が書き間違えたのです。

弁護人:ドイツ側の設計図や青写真、文書資料には、チクロンB投下装置の実在を示唆するものとして、この部品目録以外にはないのですね。

プレサック:はい、これ以外にはありません。

 

弁護人:弁護側証拠4を提出します。プレサック氏が、チクロンB投下装置の実在を示唆している唯一の文書資料的証拠であると証言している装備品目録の該当部分を拡大したものです。

 

弁護側証拠4:装備品目録の手書き部分の拡大図[35]

 

弁護人:プレサックさん、この部分を、御自分の著書『アウシュヴィッツ:ガス室の技術と作動』430頁に掲載しましたね。

プレサック:はい。

弁護人:この装備品目録全体も、同じ頁に掲載していますね。

プレサック:はい。

弁護人:この手書きの部分以外装備品は、タイプで打たれていますね。

プレサック:はい。

弁護人:どのような装備品が記載されているのですか。23あげていただけませんでしょうか。

プレサック:たとえば、Laternen(カンテラ)、Klosettbecken(便器)というような装備品が記載されています。

弁護人:そのつづりは、一文字一文字はっきりと判別できますか。

プレサック:はっきりと判別できます。

弁護人:それはどうしてですか。

プレサック:タイプで打たれているからです。

弁護人:弁護側証拠4の部分は手書きなのですね。

プレサック:はい。

弁護人:誰が、その部分を書き加えたのですか。

プレサック:この文書の作成を担当した事務員でしょう。

弁護人:それはどのような人物ですか。職種や名前はわかりますか。

プレサック:わかりません。

弁護人:いつ、書き加えられたのですか。

プレサック:はっきりとはわかりませんが、この文書のタイプを打ちおわって、遺漏部分があることに気づいてからのことでしょう。

弁護人:戦後に、誰かが書き加えたという可能性はありますか。

プレサック:そのようなことはないと思いますが、断言はできません。

 

弁護人:プレサックさん、この部分のドイツ語、その英語訳として、4 Drahtnetzeinschiebvorrichtungen4 wire mesh introduction devices4つの針金網投下装置)、4 Holzblenden4 wooden covers4つの木製カバー)という用語を、あなたの著書の同じ頁、430頁に掲載していますね。

プレサック:はい、掲載しています。

弁護人:弁護側証拠4をよくご覧ください。この手書きの部分は、おそらくインクがにじんでいるのでしょうか、文字の一つ一つがつながってしまっており、明瞭ではありませんね。

プレサック:タイプで打たれた部分のように、はっきりしているわけではありません。

弁護人:下の方には、何と書いてあるのですか。

プレサック4 Holzblendenです。

弁護人:たしかに、下の方はまだはっきりしているので、4 Holzblendenと読もうと思えば読めるかもしれません。では、上の方はいかがですか。

プレサック4 Drahtnetzeinschiebvorrichtungenです。

弁護人:本当にそのように読み取れるのですか。別の単語に読み取ることもできるのではないでしょうか。

プレサック4 Drahtnetzeinschiebvorrichtungenです。

弁護人:そうですか。この問題は、弁護側証拠4をよくご覧いただいて、陪審員の皆さんに判断していただくよりありませんね。

 

弁護人:プレサックさん、SS隊員はチクロンBの丸薬をチクロンB投下装置に入れ、そして、チクロンB投下穴からガス室のほうに下ろし、犠牲者が死ぬと、今度は上に引っ張りあげていったのですね。

プレサック:そのとおりです。

弁護人:つまり、「針金網投下装置」と訳されているDrahtnetzeinschiebvorrichtungenは、上下方向に動いたのですね。

プレサック:はい。

弁護人:ところで、この用語に含まれているeinschiebというドイツ語の単語は、水平的な動き(押す、挿入)という意味なのではないでしょうか。

プレサック:ネイティブのドイツ人がそのように言っているとすれば、そうなのでしょう。

弁護人:「針金網投下装置」は、上下方向に動くのですね。

プレサック:はい。

弁護人:だとすると、上下方向に動くはずである「針金網投下装置」にDrahtnetzeinschiebvorrichtungenというドイツ語の用語はふさわしくないのではないでしょうか。[36]

プレサック:・・・、・・・

弁護人:私には、弁護側証拠4の上の部分がDrahtnetzeinschiebvorrichtungenと読めるとは思えないのですが、百歩譲ってそのように読めたとしても、チクロンB投下装置ではなく、何か別のもの、たとえば、ある組み立て部品を挿入・設置するためにコンクリートの中に配列された鉄の網をさしているのではないでしょうか。その可能性はまったくありませんか。[37]

プレサック:・・・、・・・

 

弁護人:次に、ペルト博士にお尋ねします。あなたは、針金網柱は、設計図にも青写真にも記載されておらず、あなたの作成した焼却棟Ⅱとその死体安置室1の内部の図版(弁護側証拠2)には、タウバー氏とクラ氏の証言に依拠して、針金網柱を書き込んだと証言しましたね。

ペルト:はい。

弁護人:針金網柱は現存していないのですね。

ペルト:はい。

弁護人:その部品の1つすら、現存していないのですね。

ペルト:はい。

弁護人:その設計図すらないのですね。

ペルト:はい。

弁護人:針金網柱は、なぜ、焼却棟の設計図や青写真に記載されていないのですか。

ペルト:それを説明するのは簡単です。もともと、焼却棟Ⅱはガス室を備えた大量殺戮装置としては設計されてはいませんでした。ですから、のちにガス室に改造された部屋は、設計図では死体安置室1となっています。その後、焼却棟Ⅱが大量殺戮装置に改造されていくときに、針金網柱もその一部となりましたが、設計図は、通常の焼却棟として機能する予定のものがそのまま使われました。ですから、針金網柱は、設計図や青写真に記載されていないのです。

弁護人:話が少しそれますが、焼却棟Ⅱはもともと、ガス室を備えた大量殺戮装置ではなく、通常の機能を果たす焼却棟として計画・設計されたのですか。

ペルト:そうです。ですから、そのときに作成された設計図や青写真には、通常の機能を果たす焼却棟が描かれているのです。

弁護人:これまでのホロコーストに関する歴史叙述では、焼却棟Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴのあるビルケナウ収容所は、最初から、「大量殺戮」を目的とする「絶滅収容所」として計画されたというのが定説になっていたと思いますが、その定説は「修正」されたのですか。

ペルト:定説が「修正」されたかどうかはわかりませんが、ビルケナウ収容所が大量殺戮を目的とする「絶滅収容所」として機能したことにはかわりありません。[38]

弁護人:そうですか。話をもとに戻します。たしか、タウバー氏やクラ氏の証言では、針金網柱は、高さ3m70cm平方でしたね。かなり、大きなものだと思えますが、そのようなものが、設計図や青写真に記載されていないということ、その断片でも記載した設計図や青写真が一枚も存在しないのは、不可解ではないでしょうか。

ペルト:それも簡単に説明できます。この針金網柱は、死体安置室1という建物の構造に本質的にかかわるものではありませんでした。実際、それらは、屋根を支える7つの構造的な支柱のうちの4つ(おそらく、1番目、3番目、5番目、7番目)に付けられた付属品のようなものでした。だから、針金網柱を死体安置室に設置するという決定がなされてからも、新しい青写真を書く必要はまったくなかったのです。[39]

弁護人:たんなる付属品であったので、設計図や青写真にあらためて記載する必要はなかったというのですね。

ペルト:そうです。だから、ガス処刑の中止命令が出てから、すぐに、痕跡も残さずに、解体することができたのです。

弁護人:ということは、針金網柱は、そんなに堅牢な装備品ではないということですか。

ペルト:コンクリートの支柱よりは堅牢ではないでしょう。

弁護人:チクロンBの丸薬は、この針金網柱を通って、ガス室に落とされ、シアン化水素ガスを放出したのでしたね。

ペルト:そのとおりです。

弁護人:チクロンBの丸薬が落とされ、そこからガスが放出されたとすると、ガス室のなかの犠牲者はどのように反応したと思いますか。

ペルト:私自身は目撃者ではありませんが、パニック状態におちいったことでしょう。

弁護人:針金網柱に殺到して、必死でガスの放出を妨げようとするのではないでしょうか。

ペルト:先にも、申し上げましたように、私は目撃者ではないので、実際に何が起こったとは申し上げられません。

弁護人:私がガス室にいて、そのような事態に遭遇したら、逃げ道を探すか、それが見つからなければ、何とかガスの放出を止めようと思いますが、いかがでしょうか。

ペルト:憶測になってしまいますので、申し上げられません。

弁護人:タウバー氏は、別の箇所で、「ガス処刑されようとする人々、ガス室の中にいる人々は、電気装置を壊し、ケーブルを引き裂き、換気装置を破壊しました」[40]と証言していますが。

ペルト:そうですか。

弁護人:ペルト博士、あなた自身が、ご自分の報告書の106頁に、この一節を含むタウバー氏の証言をそのまま引用されているのですが。

ペルト:・・・、・・・

弁護人:質問を変えましょう。針金網柱は、格子状になっていたはずですので、ガスを放出しているチクロンBの丸薬が見えたはずですね。

ペルト:見えたと思います。

弁護人:だとすれば、当然、犠牲者たちは、この網格子を壊して、ガスの放出を何とかくいとめようとしたと思いますが、針金網柱は、そのように殺到する犠牲者の圧力に耐えるような構造であったのでしょうか。

ペルト:耐えることができたのだから、そのような構造であったのだと思います。

弁護人:ということは、犠牲者たちが必死で壊そうとしても、それに耐えることができるほど、堅牢であったということではないでしょうか。さらに、「大量ガス処刑説」によれば、そのような事態が、1日に何回も生じ、それが1年以上も続いたわけですので、非常に堅牢なものでなくてはならなかったのではないでしょうか。[41]

ペルト:・・・、・・・

弁護人:ペルト博士、針金網柱は、建物の本質的な構造にかかわっていない付属品にすぎなかったので、焼却棟Ⅱが「大量殺戮装置」に改造されても、新しい青写真を書く必要はなったと証言されましたね。

ペルト:はい。

弁護人:針金網柱は、天井の屋根を通って、チクロンB投下穴、投下筒につながっているのでしたね。

ペルト:はい。

弁護人:ということは、クラ氏の証言によると70cm×70cm、あなたの証言ではそれよりも小さな穴を、屋根のコンクリート板に開けるということになりますね。それも、屋根を支える7本の支柱のすぐそばに4つも開けるということになりますね。

ペルト:はい。

弁護人:ペルト博士、あなたは建築学の教授でしたね。

ペルト:はい。

弁護人:もし、あなたが、焼却棟Ⅱの建築責任者であるとしたら、まったく設計図も青写真もなく、したがって、現場でそのつど位置関係を計測しながら、針金網柱を地下室に設置し、そして、屋根のコンクリート板に穴を開けて、この穴に針金網柱を固定するという作業を進めることができると思いますか。

ペルト:・・・、・・・

 

弁護人:弁護側反証を終えるにあたって、陪審員の皆さんに、ぜひ考えていただきたいことがあります。検事側は、ビルケナウの焼却棟ⅡとⅢでは、死体安置室1の屋根にある穴から、チクロンBを投下することでガス処刑が行なわれたと告発しています。ここで考えていただきたいことは、死体安置室1が完成したのちに、この部屋にチクロンBを投入して、大量の犠牲者をガス処刑するにはどのような方法があるかということです。

 二つの選択肢があると思います。まず、検事側の告発のように、屋根に穴を開け、そこに針金網柱を設置するという方法です。この場合、作業手順は次のようになるでしょう。

 

        屋根のコンクリート板に4つの穴を開けます。これは骨の折れる作業で、しかも、屋根の防水タール層とセメント層に大きな損傷を与える可能性があります。

        穴あけ作業によって生じた損傷を修復します。

        次に、屋根には土が盛られていましたので、それぞれの穴に、少なくとも1mの高さチクロンB投下筒をつけます。

        3mの高さの4本の針金網柱を製作します。その外部は、針金網で作られているけれども、犠牲者たちのパニックに耐えられるように、堅牢なものにしなくてはなりません。内部の可動式の筒を作らなくてはなりません。これも、複雑で、時間と資材を消費する作業です。

        完成した4つの針金網柱を、コンクリートの床、天井、支柱に固定します。これも、犠牲者のパニック耐えられるように、しっかりと固定しなくてはなりません。そのような固定方法が、当時の建築技術に存在したかどうかわかりませんが、かなり、技術的には複雑で、しかも、時間と資材を消費する作業です。

        ①~⑤までの作業を計画し、実験を行ない、承認を受け、人員と資材の割り当てを受けなくてはなりません。おそらく、それには、大量の事務文書を書かなくてはならないでしょう。

        ①~⑥の作業が終了して、チクロンB投下穴、投下筒、針金網柱が完成しても、実際のガス処刑を行なうには、大量のチクロンBを発注しなくてはなりません。投入されたチクロンBの丸薬は、針金網柱の内部にとどまっているのですから、ガスが部屋全体にいきわたるには、かなりの時間がかかります。70cm×70cmの針金網柱のうち、内部の可動式の筒が、その半分の35cm×35cmであるとすると、死体安置室1の内部の床面積は210㎡ですので、チクロンBの丸薬が置かれているスペースは、死体安置室1の床の(0.35×0.35×4)÷210=約0.0233、すなわち、2.3%ほどにすぎません。もしも、時間を短縮したければ、すなわち処刑時間を短縮したければ、大量のチクロンBを投下しなくてはならないのです。

 

 次の選択肢は死体安置室1の吸気システムを利用する方法です。この場合の作業手順は次のようになるでしょう。

 

        死体安置室1の吸気システムにある吸気換気扇のすぐ後ろに籠のようなものを設置し、その中にチクロンBの丸薬を入れます。

        もしも、可能であれば、焼却炉の強制排出送風機のダクトを死体安置室1の吸気システムに、すなわち、外部の吸気口と吸気換気扇のあいだにつなぎます。炉の余熱による暖かい空気が、チクロンBの丸薬の入った籠を通過して、吸気換気扇によって死体安置室1に送り込まれることになり、シアン化水素ガスの放出は劇的に早まります。

        ①~②の作業を行なえば、比較的少ない量のチクロンBを使って、きわめて短時間でシアン化水素を含んだ空気が、死体安置室1全体にいきわたり、数多くの犠牲者を短時間でガス処刑することができるようになります。

 

 陪審員の皆さん、この二つの選択肢のうち、どちらの方が合理的かつ実際的でしょうか。少しでも、技術的知識、建築学的知識をお持ちならば、結論は明らかでしょう。[42]

以上で、弁護側反証を終わります。

 

 

裁判長:検事側は最終陳述を行なってください。

 

検事側最終陳述

検事:陪審員の皆さん、アウシュヴィッツ所長ヘスや元囚人たちは、焼却棟ⅡとⅢのガス室では、その天井にある穴からチクロンBを投げ込むことでガス処刑が行なわれたと証言しています。たしかに、それらの証言には、細かい点で食い違いやあいまいな点があるかもしれませんが、そのようなことは、事件の本質には関係のないことです。証人たちは、唯一つのことすなわち、ガス室の天井にある屋根からチクロンBが投下されたという点では一致しています。この点を重視すべきなのです。航空写真や、地上写真も、ガス室の屋根の上に存在するこの穴、筒を明瞭に写しだしています。

また、チクロンBの丸薬が通過していった針金網柱についても、この装置を製造したクラ氏が、その詳細について明瞭に証言しています。想像だけで、このような証言することができるでしょうか。弁護側は、針金網柱の構造や実在を示す設計図や青写真が存在していないことを理由に、針金網柱の実在を疑っていますが、設計図や青写真が存在しない理由については、アウシュヴィッツ・ビルケナウの建物の専門家ペルト教授が明快に説明しています。

したがって、ビルケナウの焼却棟ⅡとⅢでは、死体安置室1の屋根にある穴から、チクロンBを投下することでガス処刑が行なわれたという私たちの告発は完全に立証されたと考えます。

 

裁判長:弁護側は最終陳述を行なってください。

 

弁護側最終陳述

弁護人:陪審員の皆さん、ガス室の天井にある屋根からチクロンBが投下されたという検事側証人の証言には、数多くの矛盾点、あいまいな点があり、それを信用することはできません。さらに、本審理に登場したSS隊員や元囚人たちは、本審理以外のさまざまな問題についても証言していますが、その証言にも、多くの矛盾や誤りが含まれています。ですから、彼らの証言は、たとえ意図的な偽証ではないとしても、まったく信憑性に欠けているといわざるをえません。検事側が提出した航空写真や地上写真も、本審理で明らかになりましたように、チクロンB投下穴、投下筒の実在を立証しているといえるものではありません。とくに、航空写真については、戦後の証言にもとづいて、黒いパッチを付け加えたのではないかという疑問すら生じています。針金網柱については、実物も、その存在を示唆する設計図も青写真もなく、まったくの想像、妄想の産物としかいいようがありませんし、まったく非合理的、非実際的な装置です。

 検事側は、チクロンB投下穴、投下筒、針金網の実在を示す物的・物理的証拠、文書資料的証拠をまったく提出できていません。検事側が依拠しているのは、ただ、信憑性を欠いた「目撃証言」だけなのです。だとすると、ビルケナウの焼却棟ⅡとⅢでは、死体安置室1の屋根にある穴から、チクロンBを投下することでガス処刑が行なわれたという告発には物的・物理的根拠、文書資料的根拠がまったく存在しないということになります。

 陪審員の皆さん、本件は、きわめて重要です。チクロンB投下穴、投下筒、針金網柱が実在しなかったとすれば、焼却棟ⅡとⅢの死体安置室1での「大量ガス処刑」も起りえなかったことになります。そして、焼却棟Ⅱと焼却棟Ⅲは、ホロコースト正史のなかでは「大量殺戮センター」の中心であったはずですから、この正史自身が崩壊することになります。

まさに、「穴がなければ、ホロコーストもない」のです。

 

 

裁判長:以上で本件の審理を終了します。陪審員の皆さんは、別室で協議してください。陪審員の裁定がでるまで、休廷とします。

 

 

 

ホロコースト再審法廷へ



[1] 以下のチクロンB投下穴、投下筒についての証言は、Charles D. Provan, No Holes? No Holocaust? (online: http://www.revisingrevisionism.com/)による。

[2] Van Pelt expert report, (online: http://www.holocaustdenialontrial.com/evidence/van.asp), p. 295.

[3] Debórah Dwork and Robert Jan van Pelt, Auschwitz 1270 to the present, New York London 1996.

[4] R. J. van Pelt, The Case for Auschwitz: Evidence from the Irving Trial, Bloomington, 2002.

[5] Van Pelt expert report, p. 295. アーヴィング・リップシュタット裁判10日目の裁判記録、(online: http://www.fpp.co.uk/Legal/Penguin/transcripts/day010.htm), pp. 6-7.

[6] Van Pelt expert report, p. 295.

[7] Miklos Nyiszli, Auschwitz  A Doctor’s Eyewitness Account, paperback edition, New York, 1993.

[8] Carlo Mattogno, Auschwitz: A case of plagiarism, (online: http://www.vho.org/GB/Journals/JHR/10/1/Mattogno5-24.html)

[9] Carlo Mattogno, Two false testimonies from Auschwitz, (online: http://www.vho.org/GB/Journals/JHR/10/1/Mattogno25-47.html)

[10]  Filip Müller, Eyewitness Auschwitz, Stein and Day, New York, 1979

[11] R. J. van Pelt, The Case for Auschwitz, p. 190, p. 194.

[12] Ibid, p. 191

[13] Ibid.

[14] Ibid.

[15] アーヴィング・リップシュタット裁判9日目の裁判記録、(online: http://www.fpp.co.uk/Legal/Penguin/transcripts/day009.htm), pp. 173-174.

[16] Van Pelt expert report, p. 295.

[17] Van Pelt expert report, p. 295.

[18] Germar Rudolf, The Rudolf Report. Expert Report on Chemical and Technical Aspects of the "gas Chambers" of Auschwit, (online: http://vho.org/GB/Books/trr/index.html), Germar Rudolf, Some Technical and Chemical Considerations about the 'Gas Chambers' of Auschwitz and Birkenau, Ernst Gaus, Dissecting the Holocaust. The Growing Critique of 'Truth' and 'memory', (Ed.), Theses & Dissertations Press, Capshaw, AL, 2000. Brian Renk, Convergence or Divergence?: On Recent Evidence for Zyklon Induction Holes at Auschwitz-Birkenau Crematory II. (online: http://www.ihr.org/jhr/v20/v20n5p33_Renk.html)

[19] アーヴィング・リップシュタット裁判9日目の裁判記録、(online: http://www.fpp.co.uk/Legal/Penguin/transcripts/day009.htm) pp. 181-182.

[20] Germar Rudolf, The Rudolf Report.

[21] アーヴィング・リップシュタット裁判10日目の裁判記録、(online: http://www.fpp.co.uk/Legal/Penguin/transcripts/day010.htm), p. 17.

[22] アーヴィング・リップシュタット裁判11日目の裁判記録、(online: http://www.fpp.co.uk/Legal/Penguin/transcripts/day011.htm), pp. 109-113.

[23] アーヴィング・リップシュタット裁判10日目の裁判記録、(online: http://www.fpp.co.uk/Legal/Penguin/transcripts/day010.htm), p. 7-8.

[24] John Ball, 12 'Eye-Witness' Stories Contradicted by Air Photosonline: http://www.air-photo.com/english/, Germar Rudolf, The Rudolf Report.

[25] Van Pelt expert report, p. 44

[26] Charles D. Provan, No Holes? No Holocaust?

[27] Ibid.

[28] Ibid.

[29] Van Pelt expert report, p. 294.

[30] Jean-Claude Pressac, Auschwitz: Technique and Operation of the Gas Chambers, New York, Beate Klarsfeld Foundation, 1989.

[31] Jean-Claude Pressac, Les Crématoires d'Auschwitz. La Machinerie du meurtre de masse, CNRS éditions, 1993, Jean-Claude Pressac, Die Crematorien von Auschwitz/Die Technik des Massenmordes, Munich/Zurich, Piper Verlag, 1994, Jean-Claude Pressac with Robert-Jan Van Pelt, "The Machinery of Mass Murder at Auschwitz", chapter 8 (pp. 183-245) of the collective work published by Yisrael Gutman and Michael Berenbaum, Anatomy of the Auschwitz Death Camp, published in association with the United States Holocaust Memorial Museum, Indianapolis, Indiana University Press, 1994.

[32] Jean-Claude Pressac, Auschwitz: Technique and Operation of the Gas Chambers, p. 487.

[33] Ibid., p. 430.

[34] R. J. van Pelt, The Case for Auschwitz, p. 208.

[35] Jean-Claude Pressac, Auschwitz: Technique and Operation of the Gas Chambers, p. 430.

[36] Germar Rudolf, The Rudolf Report.

[37] Robert Faurisson, Answer to Jean-Claude Pressac on the Problem of the Gas chambersTwo further comments on my answer to Jean-Claude Pressac, (online: http://vho.org/GB/Books/anf/Faurisson1.html, http://vho.org/GB/Books/anf/Faurisson2.html)

[38] Van Pelt expert report, p. 294.

[39] Ibid.

[40] Ibid., p. 106

[41] Robert Faurisson, Auschwitz: Technique & Operation of the Gas Chambers Or, Improvised Gas Chambers & Casual Gassings at Auschwitz & Birkenau, According to J.-C. Pressac (1989) (online: http://vho.org/aaargh/engl/FaurisArch/RF9103xx1.html)

[42] Germar Rudolf, The Rudolf Report.


『いわゆるヒトラー一派のガス室といわゆるユダヤ人の虐殺は、同一の歴史的嘘である。この嘘のおかげで、非常に大きな政治的・金銭的詐欺行為が容認され、そのおもな受益者はイスラエル国家と国際シオニズムであり、そのおもな犠牲者はドイツ国民―その指導者ではない――とパレスチナ民族全体である。』

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1980年代のイスラエルの戦略 この記事は1982年2月『Kivunim、A Journal for Judaism and Zionism』の第14号、冬季5742にヘブライ語で掲載されたものである。

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