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試訳:発見!不条理のかたまりの国

戦時宣伝の影響下での市民的諸権利の退化

ゲルマール・ルドルフ

 

歴史的修正主義研究会試訳

最終修正日:20031211

 

本試訳は当研究会が、研究目的で、Germar Rudolf, Discovering Absurdistanを試訳したものである(ただし原文中の図版は省略した)。
 誤訳、意訳、脱落、主旨の取り違えなどもあると思われるので、かならず、原文を参照していただきたい。

online: http://vho.org/tr/2003/2/Rudolf203-219.html

 

 

    国民が国歌を歌うとき、そのかなりの部分を歌うことが禁止されている国とは、どのような国なのか?

    フォークシンガーが平和的な歌を歌うと投獄されてしまうのは、どの国なのか?

    5人の子供の母親が、平和的な歌の入った1枚のCDを売ったことで投獄されてしまうのは、どのような国なのか?

    自分の教会に国旗を掲げた牧師が過激派とのことで教区から追い出されてしまうのは、どの国なのか?

    国旗を掲げた人物が過激派とのことで隣人たちから迫害を受けるのは、どの国なのか?

    学生たちに毎朝最初に国歌を歌うように教えている教師が過激派とのことで免職処分になるのは、どの国なのか?

    自国の過去の旗を見せることが「公共の平和」への脅威とみなされているのは、どの国なのか?

    人間に向かって手を掲げて振ると罰金処分になるのは、どの国なのか?

    実物大の歴史的武器を集めたり、展示すると罰金処分になるのは、どの国なのか?

    何百年何千年も多くの文化の中で使われてきた、そして今も使われているシンボルや印を見せると、罰金処分になったり、投獄されるのは、どの国なのか?

    学術研究書の中のラテン語で書かれた脚注の中で、特定の歴史的事件についての疑念を書き記した教授が、訴追されたり、投獄で脅されたりするのは、どの国なのか?

    ある判事が、十分に根拠があるけれども、歴史的テーマについてきわめて論争的な著作を執筆すると、その著作は没収・焚書処分となり、年金は停止され、博士号も撤回されてしまうのは、どの国なのか?

    高名な歴史家が十分の根拠のある自国史を執筆して、その研究成果が当局に気に入られないとの理由で、訴追という脅迫を受けてしまうのは、どの国なのか?

    歴史の教師が私信の中で歴史学上の異論派のことを触れただけで投獄されてしまうのは、どの国なのか?

    国際主義を批判する教授が職場を追われ、訴追され、自殺に追い込まれてしまうのは、どの国なのか?

    平和的・学術的・歴史資料を出版したという理由だけで歴史学上の異論派を2年以上も投獄してしまうのは、どの国なのか?

    貶められ、中傷され、辱められた旧軍人が、自分の世代に対する「ナイヤガラの滝のような嘘」に抗議して、焼身自殺をはかっているのは、どの国なのか?

    このような自己犠牲の追悼式を非合法化し、この人物の遺言を公表しようとする人々を処罰しているのは、どの国なのか?

    信用のある研究者が、政治と歴史に関する、脚注の多くついた、根拠のある著作を出版しても、それが当局によって没収・焚書処分となってしまうのは、どの国なのか?

    著者、編集者、出版者、印刷者、卸売業者、小売業者、輸入業者、輸出業者、特定の出版物を2冊以上購入した消費者が、異論派の政治・歴史文献を製作、保管、輸出入、配布したことで訴追されてしまうのは、どの国なのか?

    どの出版物が非合法となっているか、市民には明らかにされておらず、このような出版物を配布することが犯罪であるかどうかを知ることができないのは、どの国なのか。

    判事が、政治的・歴史学的異論派を厳しく処罰しなかったとのことで訴追されてしまうのは、どの国なのか?

    無罪を立証する証拠を提出することを非合法としているのは、どの国なのか?

    自分の依頼人のために無罪を立証する証拠を提出しようとする弁護人を訴追しているのは、どの国なのか?

    公判の中での発言や審理の進行を記録していないのは、どの国なのか?

    政治裁判を行なうための機関を持っているのは、どの国なのか?

    反対グループにスパイ行為を行なう大きな諜報機関を持っているのは、どの国なのか?

    合憲とみなされている特定の政治的反対派集団のメンバーの一員が市民的権利を剥奪されているのは、どの国なのか?

    専門家によると、事態がこのように進展していけば、やがて全体主義国家となってしまうとみなされているのは、どの国なのか?

    マスメディアの主流でさえも、この国は政治的異論派を迫害しているヒステリー国家であると認めているのは、どの国なのか?

    国家の首長が、望ましからざる政治的見解を抱かないようにするために、子供は両親を、両親は子供をスパイするように呼びかけているのは、どの国なのか?

    当局と世論が、政治的右派とみなされるすべてのものと戦うように呼びかけているのは、どの国なのか?

    当局が、住民の半数はその政治的見解ゆえに陶片追放に値すると声明しているのは、どの国なのか?

    平和的な「思想犯罪」の咎で10000名以上を刑事訴追していることを自慢しているのは、どの国なのか?

    世界の中で中国にも劣らないような検閲制度を採用しているのは、どの国なのか?

 

これは一体どの国なのか?

 

正解はドイツ

 

驚きましたか。もしそうなら、読み進んでください。

 

 

国歌が禁止されている!

 ドイツ国歌は1848年に、ルードヴィヒ・フォン・ファレスシュレーベンによって作詞された。それはハイドンの曲に付けられた。その他多くの国歌とは異なり、ドイツ国歌には軍事的、帝国主義的、暴力的な色彩はない。ドイツ、ドイツ人、その理想だけを歌っている。しかし、反ドイツ勢力は、その1番を歪曲して提示することで、ドイツ国歌に悪評を押し付けている。1番は次のとおりである。

 

「ドイツ、全てに冠たる、世界に冠たるドイツよ

護らん時は何時なりとも 兄弟の如く結束せん

マース川からメーメル川、

エッシュ川からベルト海峡まで。

ドイツ、全てに冠たる、世界に冠たるドイツよ

護らん時は何時なりとも 兄弟の如く結束せん。」

 

 この歌詞の調子は明らかに祖国防衛を目指しているものであるが、2行目を省略することで、ドイツの優越性を強調したものとして歪曲されている。しかし、それは、全体の調子とは異なっている。3行目と4行目は国境の川(マース川、メーメル川、エッシュ川)とバルト海の一部(ベルト)を描いている。これらは、この歌が作られた1848年には、ドイツの地理的、政治的、もしくは民族的国境であった。今日それらが国境となっていないのは、2つの世界大戦で敗れたためであり、戦勝国が広範なドイツ領を征服・併合し、数百万のドイツ人を追放したり、殺したためである。今日、この歌詞は、ドイツの隣国に対する領土的要求であるかのようにみなされている。しかし、領土的要求を行なったのは、ドイツではなく、1918年以降、数百万のドイツ人を殺しつつ、暴力的に自分たちの要求を実現した隣国のほうである。それゆえ、この歌詞を歌うことは、攻撃的な領土的要求ではなく、ドイツが20世紀初頭以降に経験した非合法の領土的損失と人的損失を永遠に思い起こすためであるとみなすべきであろう。

 ドイツ国歌の2番と3番はまったく無害である。2番はドイツ人の自慢(ドイツ人の中世、ドイツのワイン、ドイツの歌、ドイツの女性)を歌っており、3番は、1848年時点の分裂した、専制的ドイツには存在しなかった統一、正義、自由という3つの理想を歌っている。

 このような歴史的領土的問題をはらんでいるために、ドイツ国歌の1番と2番は公式の場では歌われることがない。1番はドイツ領を征服した隣国との外交的トラブル、メディアとの公的な難題を引き起こすとみなされているからである。しかし、ドイツ国歌の3番を歌ったり、たんにメロディを演奏することも、ドイツでは一般的ではない。スポーツや政治の国際舞台の場に限定されている。たとえば、サッカーの試合でドイツの代表チームが他国の代表チームと試合するときや、外国の高官をその国の国歌で歓迎し、そのあとでドイツ国歌が演奏されるときである。

 それ以外の場合には、イギリスの新聞が正確に観察しているように[1]、ドイツ国歌の斉唱は、ドイツでは馬鹿者かネオナチ用とみなされている。1980年代、深夜にドイツ国家を演奏している公共放送局がいくつかあり、私は自分のラジオのボリュームを最大にして、窓を開けて、隣人や宿舎の学生全員に聞かせてみた。このようなことをする人物は精神異常かナチであるとみなされていたので、挑発行為のようなものにうつったであろうし、今でもそのようにみなされるであろう。私はこのようなことをしているときに、(中絶について)の講演通知を張出したが、その1日後には、通知にはハーケンクロイツが見事に描かれていた。

 ドイツの自己退化がどの程度まで進んでいるのかを理解したのは、合衆国にやってきて、自分の目で、しかも、かなり驚きながら、そして少々不安になりながら、合衆国での国歌の扱われ方を見たときであった。合衆国では、学校が朝一番にやることは、拡声器での放送にあわせて国歌を歌うことであった。もし、ドイツで、教師や校長がこのようなやり方を提案したとすれば、右翼過激派として職を失うことであろう。私は自分を愛国者とみなしているが、その私でさえも、毎朝、学生全員に国歌を歌わせようとは思わないであろう。右翼急進派のように思われるからである。しかし、合衆国では、まったく普通のことと考えられていた。

 ドイツ国歌の1番についての作為的な論争のために、国内外のメディアは、1番を歌うことはドイツでは非合法であるとの噂、虚偽のニュースを広めている。これはまったく真実ではない。しかし、今日でも、多くのドイツ人は真実だと思っている[2]

 国民うちのかなりが、自国の国歌を歌うことが非合法であると考えているとは、一体どのような国とみなすべきなのであろうか。自国の国歌が非合法となっていることを正しいと考えている国民とは、一体どのような国民とみなすべきなのであろうか。国民のかなりが、歌が非合法となることに怒りをおぼえない国とは、一体どのような国とみなすべきなのであろうか。

 不幸なことに、ドイツでは事態はもっと悪くなっている。事実、ドイツでは多くの歌が非合法になっている。軍事的な意味合いを持っていることが、その理由の大半であるが、第三帝国時代に歌われ、特定の集団に不快感を呼び起こすという理由だけで、非合法になっている歌もある。たとえば、愛国的・民族主義的歌を作曲・歌唱しているドイツのフォークシンガーフランク・レニッケのケースがある。レニッケは私と同じ年である。彼は、私が暮らしたことのあるところからわずか数マイル離れた、南ドイツの小さな町に暮らしている。実際、私は彼と知り合うことになった。彼の音楽は私の好みでもなく、彼の政治的見解に賛同もしていなかったが、われわれは友達となった。

 1986年、フランクはある歌を作曲した。そこでは、ドイツ人が第二次大戦中に故郷や財産を失ったこと、命を失った人も多かったことが歌われていた。フランクは、歌の2番では、現在のドイツも扱い、そこでは、ドイツは外国人の大量移民によってふたたび故郷を失っていることが歌われていた。それは、彼によると、かつての占領者(アメリカ人とロシア人)によってドイツに押し付けられた事態であった。歌は次の2行で終わっている。

 

「アメリカ人、ロシア人、外国人は置いていった

私たちの家に主人を」

 

 おそらくこの2行のために、1996年、ドイツでは、この歌は販売禁止となった。フランクは歌を書き換え、この2行を削除した。ここではこの歌全体を翻訳することはしないが、この2行だけが、「外国人」の怒りを呼び起こすと解釈できる内容であった。それ以外の部分ははるかに温厚である。外国人の存在と活動に不快感を表明しているけれども、そのことは、削除には値しない。

 フランクは、この削除した歌を販売し続けたので、2003年初頭に17ヶ月の保護観察処分となった。フランクには5人の子供がおり、彼は犯罪をおかしたこともない。彼の妻は、この歌のCDの注文をたった1電話で受けたことで、5ヶ月の保護観察処分となった。このような事件は、多くの事件の一つにすぎない。たまたま、私が個人的に関係していただけである。

 フォークシンガーが自分の(あまり人気のない)歌の件で投獄され、母親がたった1枚の音楽CDの注文を受けたことで投獄されてしまうような国とは、一体どのような国なのであろうか[3]

 

禁止されている国旗とシンボル

 ドイツはその歴史の大半で多くの領邦国家に分裂していたので、国旗、少なくとも民族全体を代表するものとして認められている旗を持たなかった。多くのドイツ人が民族を代表するものとして認めた最初の旗は、1813年にナポレオンに対して義勇兵として戦った学生団体の色から採用された黒・赤・金色の旗である。しかし、すべてを包括し、民族の意志にもとづいたドイツ国家が存在しなかったので、どのドイツ君主制もこの旗を公式には受け入れようとしなかった。第一次大戦後、ドイツの帝政が崩壊してからやっと、この旗がドイツに導入されたが、国民の多くはそれを受け入れなかった。多くの国民にとって、「帝国戦争旗」がその栄光ゆえにドイツを代表していた。この旗は、第二帝国の皇帝が、軍のシンボルとして導入したものである。第二帝国は連邦制であり、それを構成する領邦、王国、小国は独自のシンボル、旗、支配者、政治勢力、軍を所持していたので、この帝国戦争旗がドイツ全体を代表するシンボルであり、国民の多くに受け入れられていた。今日であっても、この旗はドイツの栄光の強力なシンボルである。

 不幸なことに、ドイツ人の圧倒的多数が受け入れた最初の公式の国旗は、1933年から1945年までのハーケンクロイツ旗であった。第二次大戦後、黒赤金の三色旗が再度導入され、今回は国民全員によって受け入れられている。ただし、オーストリア人は例外であった。彼らは、戦勝国によって強制されて、ドイツという母国に別れを告げ、独立しなくてはならなかった。

 ドイツ人は、国旗の掲揚においても、国歌斉唱と同じ問題を抱えている。ドイツがこの問題で他の国々と異なっていることにはじめて気がついたのは、スイスですごした夏休みのことであった。私の母と子供たちが、スイスのカトリック教会を訪ねた。この教会の天井には、イエスが手にスイス国旗を携えながら、栄光に包まれて、墓から立ち上がっている、新約聖書からの場面が描かれていた。イエスが手に旗を持っていること、まして、スイスは2000年前には存在していなかったのだから、スイス国旗を持っていることが理解できなかった。私はこの件を、過度の愛国主義とみなしていた。

 しかし、合衆国にしばらく暮らしてみると、この国では、教会の中に国旗を掲げることがごく普通のことであることを知った。しかし、ドイツでは、司祭や牧師が教会の中に国旗を掲揚しようと提案すれば、彼らは右翼過激派とみなされてしまうだろうし、そのことに固執すれば、教区を追い出されてしまうであろう。

 合衆国では、とくに911日事件のあとでは、市のいたるところに国旗が掲げられているが、ドイツでは、市長がこのようなことを提案すれば、愛国主義的すぎるとみなされ、市庁舎に入ることができなくなるか、もし、入って職務を続けたとしても、マスメディアが彼のことを右翼過激派と非難して、結局は、辞任に追い込まれることだろう。

 自分の家の庭に、特別な理由もなしにドイツ国旗を掲げたとしても、同じように不愉快な目にあうであろう。周囲の人々から右翼過激派の嫌疑をかけられ、社会的に孤立してしまい、きわめて不愉快な経験をすることになる。イギリスのThe Independent紙が最近指摘しているように1、ドイツ国旗の掲揚は、ドイツ国歌の斉唱とおなじく、「馬鹿者かネオナチ」用とみなされているからである。

 ドイツ統一後に愛国主義の波がドイツ全土を覆った1990年代初頭、多くの国民が、帝政時代の帝国戦争旗を掲げた。当局は、これに対抗して、この旗を公けに掲揚するのは品行の良くないことであると表明した[4]。ドイツでは、一部のメディアや政治家がそれを好まないとの理由だけで、いとも簡単に、揺るぎのないシンボルを掲揚することが禁止されているのである。

 いうまでもないことだが、ドイツでは、第三帝国の旗の掲揚はまったく非合法で、重罪に問われる。このような法的措置は、第三帝国時代にも存在しなかった。同じく、第三帝国時代のシンボルも非合法である。ここには、ハーケンクロイツやSSのルーン文字だけではなく、第三帝国時代に使われたシンボルや記号と同じか類似したシンボルや記号も含まれている。これらのシンボルの中には、数世紀間、ひいては1000年間も、世界のさまざまな文化の中で使われてきたものもある。しかし、ドイツでは、このようなシンボルは重罪に問われるのである[5]

 ごく普通に、軍用機や戦車の模型を集めていたとしよう。第二次大戦中のドイツ軍兵器には、そのような記号がついているが、それはどのように扱うのであろうか。このような模型は歴史的には正しいが、ドイツでは政治的に正しくない記号は犯罪となる。もしも、個人的なコレクションとしてそのようなものを持っていたとしても、この件を隣人に話してしまい、この隣人があさましくもこの件を当局に密告すれば、家宅捜査、没収、非合法のシンボルを展示した件での訴追となるのである。このような極端な対応も、第三帝国時代には存在しなかった。

 いわゆる「ヒトラー式挨拶」(もともとローマ起源の、腕を掲げる挨拶、ヒトラー時代のドイツで多用された)もドイツでは非合法であり、罰金や投獄で処罰される。しかし、次のような事態を考えていただきたい。

 二人の友人が、歴史学的異論派に対する裁判の傍聴に出かけた。彼らはナチスでもなく、このような挨拶をしようとしたこともない。地元のユダヤ人共同体が、この種の裁判ではいつものように、代表を裁判に送っていた。友人が裁判所に近づくと、やはり傍聴しようとしてきた知人が玄関のところで待っていた。友人は、手を上げて、手を振って知人に挨拶した。これを見たユダヤ人兄弟の代表は、「ヒトラー式挨拶」を行なった件で、二人を告訴した。二人は起訴された。友人のうち年長者の方は、戦時中にナチス党員ではなかったこと、右手が不自由であったので、手をまっすぐ掲げる挨拶ができないことを証明することができた。だから、彼は釈放された。しかし、もう一人の友人の方は、戦後生まれであったので、戦時中にナチス党員でなかったことを証明できず、また、健康であったので、右手を上げることができないことも証明できなかった。このために、彼は有罪となり、多額の罰金を科せられた。だから、ドイツ人は、たとえ少しであっても、手を上げて挨拶する人物に出会ったときには、高電圧のショックを与えられたときのような、パブロフの反応を示してしまうことになる(私もそうであるが)。いかなる理由であれ、手を掲げた人物と出会うのは、ドイツ人にとって恐ろしいことなのである。そのとおり、われわれドイツ人は強迫神経症なのである。われわれの社会がそのようにしてきたのだ。しかし、これは手始めにすぎない。読みすすめていただきたい。

 

焚書

 1979年、ドイツの歴史家ヘルムート・ディヴァルト教授が、『ドイツ史』という簡明な題の著作を出版した[6]。それは2000年間の歴史を扱っており、第三帝国にも適切な量の頁をさいていた。ディヴァルトは、強制収容所とホロコーストを扱うにあたって、この時期に何が起ったのかはまだ明らかではない、多くの疑問点が残っており、研究が必要であるとこの章をしめくくった。このために、マスメディアと学会から怒りの嵐が注がれた。結局、第二版では、ディヴァルトの著作の出版社は、彼に相談せずに、この箇所を変更し、ホロコースト時代に犯された想像を絶する虐殺行為に対して恐怖と怒りを表明することになった。このような表現は、ごく普通の情緒的な記述であるが、学術的ではなく、この歴史上に事件にかかわる学術的な諸問題を解明していない[7]

 ディヴァルト教授が1993年に他界すると、何名か公明なドイツの研究者が彼の記念論文集を編纂した[8]。その寄稿者の一人に、オスナブリュックの社会学教授ロベルト・ヘップ博士がいた。彼は自分の寄稿論文の中で、この「ディヴァルト・スキャンダル」をとりあげ、脚注で次のように言及した[9]

 

"Sunt apud nos cogitationes liberae in foro interno, constrictae tamen in foro publico. Quoniam in re publica nostra per regem non licet historicum quoddam factum ex officio approbatum ad incertum revocare, in dubio ponere, quin etiam negare, et cum omnis dissensio aperte declarata iudiciis severe puniatur, haereticam opinionem coram publico diligenter dissimulare oportet. Si quis nihilominus pervestigationibus omni studio peractis factum approbatum maxime dubium esse videt et veritatis gratia incorruptam rerum fidem collegas eruditos celare non vult, opinionem suam publicare non potest nisi abscondito modo. Itaque lingua doctorum antiquorum abutens statuo interclericos (quos quod sequitur obsecro, ut vulgus celent): Ego quidem illud iudaeorum gentis excidium, ratione institutum et in 'castris extinctionis' gaso pernicioso methodice peractum, veram fabulam esse nego. Sed documentorum et argumentorum scholae revisionisticae ratione habita haud scio, an hoc verum sit. Dixi quod sentio. Unica cura veritas; neminem in dubitationem inducere, neminem laedere cogito. Sol lucet omnibus, attamen non cuivis laïco contingit adire Corinthum. Quandoquidem vulgus vult decipi decipiatur!"

 

 簡単に要約すると、ヘップ教授は次のように述べている。ドイツでは、異端的見解を公的に表明すると処罰される。にもかかわらず、真理の要求にしたがって、発言したいならば、何らかの方法を使わなくてはならない。このために、この脚注はラテン語で書かれている。絶滅収容所なるものでのユダヤ人虐殺に使われたガス室の物語は真実ではない。修正主義者の議論のほうが説得力がある、と。

 ヘップ教授は、このラテン語の脚注の件のために、「憎悪を煽った」、「大衆を煽動した」との咎で訴追された。時効となっていたので、彼個人は起訴されなかったが、記念論文集は没収され[10]、ドイツ警察の監督の下で、ゴミ焼却炉で燃やされた[11]。ラテン語の脚注が、ある人物の憎悪を煽ることができるであろうか。ましてや、「大衆を」煽動できるであろうか。まったく不可解である。戦後の高名な歴史家の一人に捧げられた記念論文集を燃やしてしまうとは、一体どのような制度なのであろうか。

 これが唯一の事例であろうか。まったくそうではない。このようなやり方が、「民主主義的」ドイツでは規則なのであろう。多くの脚注のついた学術的歴史書が始めて大々的に焚書処分にあったのは1980年代初頭であった。その犠牲者は退職判事の書いた本であった。この判事は、アウシュヴィッツ強制収容所で犯罪を犯したと告訴されている被告に対する裁判の歴史的・法律的土台を分析していた[12]。この判事は「正史」に明確に反対し、「間違った」結論に達していたために、彼の本は没収され、破棄された。それだけではない。この判事シュテークリヒは年金をカットされ、1951年に博士号を取得したゲッティンゲン大学から、その博士号を剥奪された[13]。これは、1939年にヒトラーが制定した法律に照らし合わせてなされた処分であった[14]。この法律によると、学位は、その所持者が「学術的に無価値である」ことが証明されれば、撤回・剥奪されるというのである。今日のドイツの法律では、学位が1年以上の懲役に値する犯罪を犯すために利用されれば、無価値と判断されるということになっている[15]。シュテークリヒ博士は、時効のために訴追処分とならなかった。したがって、彼に対してはいかなる刑も宣告されなかった。にもかかわらず、ドイツ連邦憲法裁判所は、ゲッティンゲン大学の処分がまったく合法的であると裁定したのである[16]

 ドイツ当局がもっとも野蛮に対応した事例は、さまざまな国々の15名の研究者による論文集に対してであった。この本は、ホロコーストのさまざまな側面を批判的に分析し、きわめて論争的な結論に達していた[17]。二人の高名なドイツ人歴史家が、この本のために法廷で証言し、憲法の保障する学問の自由で保護されるべき研究書であると確証したにもかかわらず[18]、この本は没収・焼却され[19]、著者、編集者、出版者、印刷者、卸売業者、小売業者に対する訴追手続きが始められた[20]。当局はこの本の購入者リストを没収すると、この本を2部以上購入した顧客に対して、ドイツ全土で100以上の家宅捜査が行なわれた。そのような人々は、この本を配布しようとする「非合法」の意図をもっているというのであった[21]。すべての本は没収され、燃やされた。1000名ほどのドイツの研究者が、このように横暴なやり方に反対して、「緊急アピール:言論の自由が危機にさらされている」をドイツの新聞に発表したが[22]、無駄であった[23]

 もう一つのケースがある。有名がドイツの歴史家が、歴史的には正しいが、政治的には「正しくない」分析を行なったために、刑事訴追の対象となりそうになったが、かろうじて訴追を免れた事例である。ヨアヒム・ホフマン博士は、ドイツ政府の軍事史研究所の中心的な研究者であった。彼の専門は、ロシア、とくに19411945年の独ソ戦であった。彼は、定年退職直前に、スターリンがこの戦争を計画・実行したという、浩瀚な専門的研究書を発表した。ホフマン博士は、スターリンがすでに1939年にヨーロッパ大陸への侵攻とその征服を計画していたこと、望ましからざる戦争を戦うように、きわめて残酷な手段を使って自国兵士たちに強制したこと、自国民だけではなく、19431945年に(再)征服した人々すべてに対してテロルの体制をしいたことを明らかにした。しかし、左翼の政治家やジャーナリストを怒らせたのは、ドイツに対するソ連の虐殺宣伝の実態を明らかにし、それが虚偽もしくは誇張された戦争宣伝であると述べたことであった。また、ホロコーストの特定の局面についてもこの意味合いで言及しており、その虚偽や戦争宣伝的性格を立証していたために、ホフマンの訴追と本の没収を求める声があがった。裁判を開くか開かないかを裁定する判事がホフマン博士の友人であったために、彼は訴追を免れた[24]。もしも、本書の語句を一つでも変更すれば、時効期限を更新してしまうので、訴追は免れえないともいわれたという[25]

 この種の検閲についての悲しむべき話は、私が2001年にその英訳版を出版した著作の中に記述されている。オーストリアの歴史家で、独ソ戦に関する研究書を発表しているTopitsch教授は、ドイツにおける言論の自由の制限を批判する、長文で、明快で、勇気のある序文をもともとは執筆していた。しかし、歴史家に対する迫害の波がエスカレートしていくことに直面して、Topitsch教授は、恐れを感じて、結局、非常に短い序文の掲載しか許可しなかった[26]

 

そしてこの人物も…

 プファイフェンベルガー(Werner Pfeifenberger)教授は、かつて、ドイツの立派な大学で政治学を教えていた。そのとき、彼は、ドイツの共産主義者Tucholskyの文を文脈から切りはなして引用するという犯罪を犯した。Tucholskyは、ドイツのブルジョアを窒息死させるべきであると書いたことがあった。それは劇的な効果を狙ったもので、文脈の中で読めば、それは劇的効果を狙った表現以上のものではない。プファイフェンベルガー教授は、この引用とそのほかの引用を利用して、民族主義と国際主義が同じものであると論文に書いたために、多方面から右翼であるとの攻撃にさらされた。プファイフェンベルガー教授は勤務先の州立大学の職を一時的に失った。彼は、この処分に抗議して戦い、そして勝利した。しかし、勝利したとはいえ、彼は前職を失って、小さな大学の研究員のポストを得たに過ぎなかった。さらに、特定の政治団体とメディアが、彼からこの職も取り上げること、その執筆内容の件で彼を訴追することを要求した。彼は長年にわたって同僚や学生から嫌がらせを受け、結局、職を失い、ついには、国際主義的な共産主義者に対して批判的なコメントを行なった件で起訴された。2000513日、プファイフェンベルガー教授は、懲役5年までの刑事訴追が始められたことを知って、自殺した[27]

 この自殺を理不尽なものと考える人もいるかもしれないが、悲劇でもあり、ドイツの保守的・愛国的学会に衝撃を与えた。プファイフェンベルガー教授はオーストリアの愛国者、保守派とみなされており、学会や政界に多くの友人を持ち、その多くも保守派、愛国者であった。このような研究者の中には私の友人もいた。彼らは、ドイツとオーストリアで右翼、保守派、愛国者に対する刑事訴追が行なわれるのではないかと恐れており、パニック状態におちいっていた。私個人もショックを受け、恐怖心を抱いた。

 1990年代中頃以来、共産主義的な宣伝家が組織した展示会が、世論の後押しを得て、ドイツ各地で行なわれていた。それは、第二次大戦中のドイツ国防軍を大量殺人者・犯罪者集団とみなして、その活動を一方的に中傷したものであった[28]。もちろん、第二次大戦中のドイツ軍旧軍人たちは、この展示会にひどく憤ったが、彼らの話に耳を傾けたものはほとんどいなかった。ドイツ国防軍、ひいてはドイツ国民を中傷する宣伝工作は、きわめて悪辣なものとなったので、まったく気が動転しまった老人たちも出現した。このような嘘に反駁することはほとんど不可能であった。公式の路線からの逸脱は、陶片追放の対象となるか、ひいては刑事訴追の対象となってしまうからである。1995年、ドイツの旧軍人の一人ラインホルト・エルシュトナーは、自分と自分たちの世代に注がれた「ナイアガラの滝」のような嘘と中傷に対する苦悶の年月を過ごしたのちに、ドイツ国民に対して、このような嘘と中傷をやめさせるように熱烈に訴えた。彼はミュンヘンの将軍ホールに出かけ、そこでガソリンを自分にかけて、火をつけた。彼はそのすぐ後に死んだ[29]

 この自己犠牲を馬鹿げたことと考える人もいるかもしれないが、この事件に対する当局の反応の方がもっと馬鹿げていた。当局はエルシュトナーの最後のアピールを没収し、その公表を非合法としたのである。また、将軍ホールでの追悼集会を非合法とし、エルシュトナーに捧げられた花や花輪を没収・破棄した。

 このような反応に匹敵するのは、1968年のチェコスロヴァキアでの共産党当局の反応である。このとき、プラハの学生ヤン・パラクが、「プラハの春」をロシア軍が弾圧したことに対して抗議の焼身自殺を遂げた。ドイツはラインホルト・エルシュトナーの追悼集会を弾圧した。チェコスロヴァキア当局も、体制自体が崩壊する1989年まで、追悼集会を弾圧していた。

 

監視の目の届く限りの検閲

 私は、1991年に歴史研究を行い、その成果は1993年に出版されていた。1994年、ある小さな歴史研究団体が、私の歴史研究について話してくれと私を招待した。この団体の代表は、フュルト高校の歴史の教師Hans-Jürgen Witzschであった。私の話が終わると、この団体は、私の研究に少額の寄付をしてくれた。数年後、私はWitzsch氏と時間をすごす機会を持った。そして、彼の活動と進行中の研究計画を知るところとなった。それは、戦後のニュルンベルク裁判その他の戦争裁判に関心を向けていた。彼は、いくつかのニュルンベルク裁判文書に保管されている大量のオリジナル資料を分析したのちに、こうした裁判が「公式」見解とも一致していないという確固とした結論に達していた。もちろん、民主主義のもとでは、学問というのは、どのテーマであっても、特定の分析結果や見解を決定してしまうような権威が存在しえない分野であるので、歴史学についての「公式」見解も存在しえない。しかし、ドイツにあっては、事情が少々異なっている。ドイツでは、1933年から1945年に実際に何が起ったのか、何が起ったと考えられるのかを論点とすることに反対する圧力集団が存在しており、このような集団の名声や道徳的優位性(自称)を掘り崩してしまう場合には、「公式」見解が登場するのである。このために、この時期のドイツ史をまったく否定的に描くやり方を修正しようとすると、その修正がいかに根拠のあるものであっても、リベラル派、左翼、シオニスト、ユダヤ系、親ユダヤ派からおもに構成されている圧力集団からの憤激をかうことになってしまっている。ドイツでは、この問題と関係する社会集団は、左翼、シオニスト、親ユダヤ派であるので、彼らの見解からすれば「政治的に間違った」視点から第三帝国史にアプローチすると、醜聞、中傷、迫害、ひいては刑事訴追の嵐に遭遇してしまう。

 Witzsch氏が遭遇したのはまさにこれであった。彼は、誠実な研究者であったので、当局が自分の分析結果を気に入らないことは承知していたにもかかわらず、それを公表しなくてはならないと考えていた。たとえば、彼は、戦時中のドイツで働いていた外国人労働者の大半が、宣伝メディアがわれわれに信じ込ませようとしていたように、強制的に働かされていた人々でも、ひいては奴隷労働者でもなく、給料を受け取り、社会的福祉、休暇、こぎれいな居住区を与えられており、自分たち独自の社会活動を行なっており、自分たちの言語のメディアも持っていたことを詳しく立証した。多くの場合、これらの外国人労働者は、母国では、社会的福祉や、良好な労働・生活条件を享受していなかった。このために、ドイツでの外国人労働者の労働・生活条件は、彼らの母国での条件よりもはるかに良好であったというのである。Witzsch氏は別の研究で、第三帝国の強制収容所制度の経済局長オズヴァルト・ポールに対する戦後裁判も分析している。彼は、戦勝国の裁判手順が不法であったこと、ポールに対する判決は、提出された証拠を考えても、法的にも歴史学的にも認めることができないことを立証していた。

 高校教師のWitzsch氏はまず、停職処分を受けた。そして、バイエルン州は、彼を免職とし、年金を減額しようとした。

 1990年代末、Witzsch氏はミュンヘンのドイツ軍大学のユダヤ系歴史学教授に手紙を送り、ドイツに対する歴史学的に虚偽の虐殺宣伝を抑止・中止するように求めた。彼によると、この宣伝はドイツ国民を傷つけるだけではなく、マスメディアや圧力集団の広めた歴史像が歪曲されており、間違っていることが遅かれ早かれ暴露されてしまうので、この宣伝を推し進めている圧力集団の一つであるドイツのユダヤ人共同体をもひどく傷つけることになるであろうというのである。ユダヤ系の教授は、この私信にこたえて、大衆の憎悪をかきたてているとの件でWitzsch氏に対する告訴状を作成した。2003年初頭、Witzsch氏はこの書簡を書いた件で3ヶ月の禁固処分となった。この判決ののちに、Witzsch氏は教師としての職も失い、年金もかなりカットされた[30]

 もう一つの事例は、ウド・ヴァレンディである。彼は、2つの世界大戦に焦点を合わせた『歴史的事実』と題する歴史シリーズを編集する政治学者である。ヴァレンディは古きプロイセン人の典型であり、無骨で頑固、ときには傲慢であり、まったく社交上手ではない。また、献身的なドイツ民族主義者であるので、社会的刑事的迫害の対象となっていた。ヴァレンディの歴史書の多くは、第三帝国史を右翼的な観点から考察するものであり、青少年の精神的発達には危険とみなされる出版物「目録」に掲載されている。この目録に掲載されている出版物は、おおやけには公開・販売されていない。地下出版物としてだけ存在している。

 とくに悲喜劇的なのは、ドイツ当局が、ヴァレンディの著作『ドイツのための真実』[31]を禁止しようとしたケースである。この本の中で、ヴァレンディは、第二次世界大戦の勃発の責任はドイツだけにある、主としてドイツにあるという説に反駁している。ヴァレンディは、自分の本に対する検閲の件で、何回もドイツ政府を告訴した。彼がいつも勝訴したが、ドイツ政府はこの本の販売を認めざるをえなくなると、その翌日には、少し異なった理由をつけて、この本を目録に掲載した。そして、ヴァレンディがまた告訴して、勝訴すると、この事件は、精神病院を舞台としたドラマのように展開していった。ドイツ当局は、その文書の中で、きわめて馬鹿げた姿勢をとっている。すなわち、ヴァレンディの本はしっかりしたものであり、ドイツには第二次世界大戦勃発の責任はないという彼の説を反駁することはできないと述べながらも、ドイツのマスメディアや学校ではドイツに責任があるという反対の説が数十年にわたって教えられてきているので、ヴァレンディのような説を耳にした青少年は、心理的なたががはずれてしまうにちがいないから、この本を禁止すべきであるというのである。言い換えると、ドイツ政府は、ヴァレンディの本が学問的には正しいこと、政府公認の学校教科書が嘘のかたまりであること、もし、子供たちが自分たちの政府の欺瞞的本質を知ったならば、びっくりしてしまうことを認めているのである。そして、そのような事態を避けるには、教科書を改めるのではなく、ヴァレンディの本を検閲するというのである。ヴァレンディの本はほぼ30年にわたって禁書処分を受けてきたが、ドイツ最高裁判所は、この禁書処分を解除した。すなわち、この裁定は、ドイツ政府がすべての生徒・学生に嘘をついていること(ドイツでは、ほぼすべての学校が公立である)、非合法の検閲が頻繁に行なわれていることを明らかにしている[32]

 もちろん、このような勝利を勝ち取ったからといって、ヴァレンディが処罰されずにすんだわけではなかった。ヴァレンディは歴史学雑誌を出版しており、その中で、民族社会主義者の反ユダヤ政策の諸局面、とくにホロコーストについて批判的に分析していたが、ドイツ当局はこの件で彼を告訴したのである。ドイツでは厳罰という手段によって定説が定められているが、ヴァレンディはこの定説に異論を呈していたので、大衆を煽動した罪で有罪となり、29ヶ月の禁固という判決を受けた[33]

 

ドイツの検閲の法的土台

 不幸なことに、ドイツの歴史では、検閲は一般的である。カトリック教会が異端審問というかたちで検閲を持ち込んだ。しかし、それを完成させたのは有名なオーストリアの政治家メッテルニヒであった。彼は、1800年代初頭に、密告と監視組織を作り上げることによって、言論の自由を抑圧するシステムを完成させたのである。ドイツ帝国もヴァイマール共和国も、望ましからざる書物に対しては寛容ではなかったが[34]、もっとも悪名高いのは第三帝国である。第三帝国はその12年間の歴史の中で、10000冊以上の著作をブラックリストにあげている[35]。これらの著作は焚書処分にはならなかったが、書店の本棚から姿を消し、図書館でも禁書処分となった。

 ほとんど知られていない事実は、前代未聞の禁書キャンペーンを行なったのが連合国というドイツの「解放者」であったことである。連合国の不興をこうむった犠牲者の中には、34645冊の著作、および、1933年から1945年のあいだに出版されたすべての学校教科書があった。これらの書物は戦後に出版・販売を許されなかっただけではなく、多くの図書館からも姿を消した。19461952年、ソ連占領当局は、破棄処分となる4つのリスト(「破棄文献リスト」)を公表した。これらのリストのうち最初の3つは、西側占領地区でも有効となった[36]

 今日のドイツでは、事態はそれほど恣意的でも、厳格でもないが、検閲は依然としてドイツ社会に固有なものである[37]。ドイツ基本法(憲法のようなもの)は、検閲を明白に禁止しているが、「一般法」による検閲を許容している。ドイツ最高裁によると、このような「一般法」は特定の見解を一掃したり、禁止したりはできないが、人間の尊厳というような他の基本的人権を保護する目的でのみ、利用されうる。しかし、最高裁は、メディアが青少年の心理的発育に対する「絶えざる脅威」であれば、そのメディアの公的な配布は禁止されうるとも裁定している[38]

 ドイツ刑法には、検閲を可能にするいくつかの条文がある。一つは、名誉毀損を防止・処罰するものであり(185条)、もう一つは死者の記憶の中傷を防止するものである(185条)。名誉毀損も死者の記憶の中傷も基本的人権もしくは人間の尊厳への攻撃とみなされている。その他2つの条文も、「大衆煽動」(130条)、「憎悪の煽動」(131条)――人間の尊厳や公共の平和への攻撃とみなされる――の防止・処罰のために使われている[39]。ドイツの裁判所のもともとの裁定によると、人間の尊厳への攻撃(名誉毀損、死者の中傷、憎悪の煽動)は、侮辱的・中傷的な言葉の使用だけによるものであったが、司法当局は、このボーダー・ラインを移動して、侮辱的な表現だけではなく、正当な批判も犯罪行為とみなすようになっている。

 また、「公共の平和」という問題もきわめて恣意的に処理されるようになっている。「公共の平和」が実際に(たとえば、出版物が呼びかけたデモや反乱によって)撹乱されているという条件が必要とされなくなっているのである。平和を乱すような行動が現実的に起こりうるというのではなく、ある異論がドイツで広まり、社会の特定部分がこの異論を真実として受け入れているというだけで十分になっている。このような考え方は、当局が今日認めている見解に反対するほとんどすべての異論に適用できるので、実際の反対派、基本的な反対派を抑圧する完璧な武器となってしまっている[40]

 ドイツ刑法は、法律の適用条件の変化に対応して、1994年秋に改定され、この変化を反映するようになった。改定法には、ドイツ史の特定の局面についての(とくに、民族社会主義者による少数民族迫害についての)異論派的な歴史観を明白に犯罪とみなす条文が含まれている。さらに、どのような定義であれ、住民の特定集団に対する正当なる批判も、それが「政治的に間違っている」とみなされれば、犯罪行為と考えられた。もっとも、この法律が、中傷や批判から保護している――そのこと自体が「政治的に正しいこと」とみなされている――住民の特定集団とは、ドイツ人でも、ドイツの旧軍人でも、愛国者でも、右翼その他でもなく、外国人、ユダヤ人、ホモセクシャルなのであるが。

 この点について、ドイツ刑法の専門家は、保護されるべき法的権利(反差別条例)、保護されるべき対象(公共の平和)がこの法律ではきわめて一般的でありあいまいであるので、この改定は、特定の住民集団――どのように定義されていようとも――対する批判は刑事告発の対象となることを意味するとコメントしている。

 また、きわめて限定された歴史的事件に関する異論派的歴史観を非合法とすることは、何年か前にドイツ連邦憲法裁判所が作り上げた(しかし今日では無視しているが)シナリオそのままである。この法律は、過去のさまざまな体制の中のたった一つの体制の歴史のディテールについての特定の見解を犯罪としている。この観点からだけ考察しても、「性急かつ無思慮に採択された」[41]言論の自由に対する特別法は[42]、憲法違反であろうし、ドイツの法律学文献でも、「異論派の知的自由に対する攻撃」[43]、「特定の見解に向かって定められた、…基準の古典的事例」42として、それ相応に批判されてきた。

 

「この法令の合法性はきわめて疑わしい。[当局が嘘であるとみなした]見解が犯罪に値する悪行なのであろうか。[当局が]歴史的事実と[みなしている事柄]のたんなる否定[修正、反駁]は、大衆を煽動するという事実がない場合、人々を煽動しているとみなされ、そのように処理されることができるのであろうか。」[44]

 

 当局が真実とみなしている事柄を「否定する」という概念はドイツ刑法では新しい要素であり、さまざまな問題をはらんでいる。「誤った」歴史観以外には告訴されるべき事柄がない場合、検察当局は、この問題を解決するには、政治的な見世物裁判という手段に訴えるしかない。否定という行為が客観的に刑事訴追の対象となるには、その行為が意図的になされていなくてはならない。すなわち、「否定」している人物は、自分が真実を語っているのではないことを知っていなくてはならず、判事はそのことを証明しなくてはならないが、これは事実上不可能である。

 だが、自分たちは真実を述べていると確信している「思想犯」を処罰するため、そして、とくに、そのような「思想犯」が、自分たちの正しさをおおやけに、裁判所で立証しようとする研究者の場合には、ドイツの司法当局は、「意図」についての新しい定義をでっち上げてきた[45]

 

「この場合、意図とは、『世論』が歴史的事実と疑問の余地なくみなしている見解と自分の見解が対立していることを知っているだけでよい。当然のことながら、このことによって、[法治国家と専制体制とのあいだ]のまさに交差点に位置する罪という概念にもとづく刑法システムが法治国家において作り上げられている。」

 

 この新法は予防検閲も認めている。すなわち、出版物やその他の資料が、大衆を煽動するか「公共の平和」の脅威となると考えられ、配布の「意図」を持っていると判断された場合、それを没収できるのである。そして、司法当局によると、禁書を配布する意図とは、それを2部以上所有している場合に、配布する意図が存在すると判断されるというのである。

 この新法は人権についての国際的な標準には合致しておらず、この事実は、この問題を分析した博士論文によって立証されている。そしてドイツの指導的政治家もこの事実を認めているが[46]、ドイツという国は特異な歴史を持っているという口実で正当化されている。すなわち、次のような奇怪な論理がまかり通っている[47]

 

「焚書や少数民族の迫害の再来を防ぐために、われわれは特定の本を燃やし、特定の少数派を迫害しなくてはならない。」

 

 

禁書

 ドイツが検閲を行なうにあたって最初にとった措置は、本やパンフレットをブラックリストに載せること、その「目録の作成」であった。「目録作成」を担当しているのは、青少年有害メディア連邦校閲局(Bundesprüfstelle für jugendgefährdende Medien, BPjM)であり、この校閲局は裁判所や政府の命令なしで、どのメディアを目録に入れるかを決定できる。目録に掲載されると、ブラックリストに載った本を宣伝することも、18歳以下の青少年に売ることも、利用可能とすることもできなくなる。事実上、このような本は公共用には存在しなくなり、その存在を知ることができるのは、私的な手段を介してか、校閲局の公表している「報告書」にある目録リストを介してだけとなる。今日まで、このリストには、数千の印刷物、オーディオ・メディア出版物、ビジュアル=オーディオ・メディア出版物が掲載されている[48]

 当初、校閲局の設立目的はポルノグラフィと暴力の賛美からドイツの青少年を保護することであったが、次第に、政治的・歴史学的に少数派の著作の取締りにも従事するようになった。すでに1990年、現在、ケムニッツの社会学教授であるEckhard Jesseは、校閲局が、右翼的政治潮流とみなされているものすべてに対する一方的な戦いの道具となっていると批判している[49]Jesseによると、校閲局の検閲措置は「原則的に、開かれた社会で、出版物や演説は抑圧されるべきではないので、…自由な社会の諸原則と両立することは難しい。」[50]

 Jesseはわれわれの社会で出版物が抑圧されていることに遺憾の意を表しながらも、ブラックリストが公表されており、世論がそれを検証できることを評価している[51]。しかし、2002年、青少年保護法は、青少年に深刻な危害を与えるメディア出版物のリストは今後公表されないというように方針転換した[52]。この新しいルールの影響を受けたのは、「憎悪の煽動」、「人々の煽動」の件で法律違反となっている政治的著作、歴史研究書であった。世間の人々は、どのメディア出版物が非合法とされているかどうかをもはや知ることができない。法治国家では、法的な決定や法律は公開されていなくてはならず、だからこそ、市民はその決定や法律を知ることができ、したがって、それらを遵守する。これが法治国家のもっとも重要なルールであるが、そのルールが破られている。すなわち、ドイツ当局は決定を秘密にしており、禁止されたメディア出版物を配布する人々は、あらかじめ、その出版物が禁止されているかどうか知ることなしに、法律違反を犯してしまうことになる。これこそが全体主義的法律の典型である。

 

政府による焚書

 ドイツの検閲の第二段階は、いわゆる没収(捕獲・破棄)である。世間はこの段階についてほとんど知らない。前述のE. Jesse教授さえも、この段階については知らないか、無視している。出版物の没収は裁判所の決定による。没収された出版物がどうなるかはまったく判然としていないが、担当の警察署によって、措置が異なるのであろう。頻繁な没収の対象となっていた出版者は、没収された本が警察の監督下で焚書処分となったという話を耳にしたと報告しているが、さまざまな主流のマスメディアの記事もこれを確証している[53]。ドイツ当局の目には、危険な書物はドラッグと同じように扱われるべきであるとうつっているので、この処分は論理的であろう。すなわち、われわれの精神に毒を持ち込み、 われわれを社会の不要メンバーに変えてしまう。したがって、凶器、すなわちドラッグと本は燃やすべきだというのである(もしくは、本はシュレッダーにかける)。

 ドイツ連邦政府の情報によると、目録に搭載されている書籍とは異なり、                               

没収された本のリストを公表している部局は存在していない[54]。やはり、裁判所の没収命令もまったく公表されていない。ドイツ警察の行政手順もほとんど知られていないが、それによると、メディア出版物の没収命令を発した裁判所は、ドイツ連邦刑事局(Bundeskriminalamt)にその決定を伝えることが求められている。したがって、連邦刑事局は現在の完全のリストを持っているはずであり、すでに出されている没収命令についての情報を裁判所に提供している[55]。しかし、このドイツのFBIがこのリストのコピーの請求に対してこたえたことはない。「危険な」禁止されたメディア出版物のリストは秘密にしておくというのである[56]。だから、世論は、没収の対象となっているのはどのメディアであるのか、まったく手探りの状態である。もしも、没収の対象となっているメディア出版物を輸入・輸出・保管・再版・配布・販売した場合、思想犯として告発されて、法廷の場に立たされてしまう。

 ポルノグラフィや暴力志向の出版物も没収の対象となっているが、この件については多くの人々が肯定し、多くの場合正当な措置であるとみなしている。ここではこの問題については、とくに焦点をあてない。人権の観点からすると、政治的歴史学的な出版物の破棄のほうがはるかに深刻な問題だからである。

 著者、出版者、卸売業者、小売業者、2部以上の購入者は、禁書処分に先立って禁書を配布した件で処罰されることはありえないのに対して、裁判所がこのようなメディア出版物の没収を法的事実と宣言する決定を下す以前に、禁書を配布してしまうことが行なわれたとしても、著者、出版者、卸売業者、小売業者、2部以上の購入者を訴追できるし、実際に訴追されているのである。ドイツの法によると、没収されるメディア出版物は、その非合法性を裁判所が決定したから非合法なのではなく、その内容ゆえに非合法なのである。その結果、当局は、このメディア出版物が製作されたときにこのメディア出版物のことを知らなくても、このようなメディア出版物の存在自体が犯罪となっている。このために、著者、出版者、倉庫業者、卸売業者、小売業者、2部以上の購入者――配布の意図を持つとみなされている――は、たとえ裁判所の決定前にそのような行為を行なっても、すべて刑事訴追の対象となっている。

 バーデン・ヴュルッテンベルク州司法省は、問い合わせにこたえて、1994年から1996年のあいだに、バーデン・ヴュルッテンベルクだけで、没収処分となった政治的・歴史的内容の書籍を複数以上購入した個人に対する32件の予備審問があったと述べている[57]。ドイツ全土に当てはめてみると、この数字は、250300件の刑事事件があったことを示している。のちに没収処分となったメディア出版物を自分の意志で製作・配布した件で処罰された人々の最近の数はわかっていない。しかし、数百という予備審問の数は、この数が本当のところであることを示しているであろう。

 このような検閲によって訴追された人々の大半は、たんなる保守派・愛国者から、民族主義者を経てファシストと民族社会主義者までの右翼的見解の持ち主であった。しかし、これらの人々の思想がどのようなものであるかは重要ではない。R. Dworkin教授が、イギリスの雑誌『検閲目録』に寄稿した、ドイツにおける検閲のうねりについての記事で述べているように、問題は、言論の自由という人権は不可侵でなくてはならないという事実である[58]。これまで述べてきた事件とのどれ一つとして、暴力、暴力行為への指示、暴力の矮小化をうったえてはいない。せいぜい、特定の歴史的事件での暴力が論点とされているだけであり、これまでの歴史叙述による程度よりも低く描かれているだけにすぎない。それゆえ、ドイツの司法当局がこれらの異論派を峻厳に扱っていることは理解できないし、正当化できない。

 検閲や焚書、刑事訴追が、ユダヤ人、ホモセクシャル、女性、左翼といった個人や集団に対して向けられたとすれば、世界中のマスメディアがこのような人権の侵犯を非難して、怒りの声を上げたことであろう。しかし、抗した処分の犠牲者となったのは「右翼」だけであったので、事件は無視され、もみ消されている。しかし、客観的に見れば、第三帝国において、その信条のために投獄された共産主義者とエホバの証人たちと、今日、ドイツ連邦共和国において、ホロコーストの歴史の特定の局面に懐疑的で、自分たちの見解を公表したために処罰されている右翼と歴史家とのあいだには、まったく相違はない。人権は人権なのである。それは、左翼過激派に適用されるのと同様に、右翼過激派にも適用されなくてはならない。

 ドイツにおける言論の自由という伝統はむしろ退化しているようである。ドイツの歴史を考えてみれば、ドイツが取るべき唯一の正しい立場は、万人に対して人権を厳格かつ公正に保障することであり、特定の政治潮流の人権を否定することではないであろう。こと人権に関するかぎり、ドイツは歴史的な悪循環に陥ってしまっている。別の表現を使えば、時計の振り子が極端から極端へとゆり動いている。まさに現在が、それを中間に戻すべきときなのである。

 

告発、盗聴、マインド・コントロール

 ドイツ連邦共和国を設立するにあたって、連合国が設定した一つの条件は、「連邦憲法擁護局」の創設であった。オーウェルの小説に登場するようなこの名称が選ばれたのは、政府がこの機関を使って市民たちを監視している――実際には、それはこの部局の任務であったが――ような印象、したがって、この機関が第三帝国の秘密国家警察ゲシュタポの後継者であるかのような印象をドイツ国民に与えないようにするためであった。この機関はその後進化して、内務省の中の憲法擁護庁となった。

 最近、Claus Nordbruchは、この国内スパイ機関の管轄権限がスキャンダラスなほど拡張していることを、膨大な文書資料にもとづいて明らかにしている[59]。憲法擁護庁は警察・司法的部局を持っていないにもかかわらず、きわめて大きな権力を行使している。「憲法擁護」報告に個人や団体が記載されてしまうと、それは、社会的な死刑判決となる。その対象となってしまった個人や団体は陶片追放の標的となり、ハンセン病患者のように忌避されてしまう。職場から追放されることもあり、労働調停裁判所に訴える権利さえも否定されている。

 勝利した連合国の役割が顕著であったのは、1950年代初頭に起こった政党の権利剥奪である。この当時、ドイツ帝国党が創設され、復員兵士や愛国主義者のあいだで高い人気を誇っており、急速に勢力を拡大して、選挙でも成功を収めていた。この新党の指導者=牽引車は、オットー・エルンスト・レーマー少将であった。彼の成功を見た連合国の代表団が、彼のもとを訪れて、ドイツ帝国党を離党するか、もしくは連合国が同党を禁止するかという選択肢を突きつけた。レーマーは屈服を拒否し、党は禁止された。KPD(ドイツ共産党)も禁止されたが、それは、すぐに、DKP(ドイツ共産党)と姿を変えて登場した。

 60年代末に登場した「緊急法(Notstandsgesetze)」の導入は、憲法で保証された諸権利の破壊にむかう決定的なステップであった。この法の目的は、ソ連との深刻な衝突が生じた場合、政府が市民的諸権利を制限することを可能にすることであった。緊急法の導入以前には、政府が市民的諸権利を制限することは法的に不可能であった。しかし、いまやあたりまえのこととなったのである。

 緊急法をめぐる論争はまた、60年代末の学生反乱にはずみを与えた。学生たちは、この法が専制体制へのドアを開いてしまうと恐れていたが、それには十分な根拠があった。ただし、彼らは誤って、この専制体制を「ファシスト的」とみなしていたが。

 緊急法が60年代末のキリスト教自由主義者と社会主義者との大連立のもとで成立すると、「議会外反対派(Außerparlamentarische Oppostion, APO)」が組織され、既成政党への権力の集中に街頭で対抗した。この「議会外反対派」から70年代のテロリスト運動が登場し、そのことが、人権をさらに制限する政府の口実となった。「潜在的に危険な状況の進展」を防止することの意図で、裁判所の正式な許可がなくても、家宅捜査、盗聴、私信の開封が可能となった。

 80年代に組織犯罪が増加すると、基本的人権(住居、書簡、電話の不可侵性)はさらに弱いものとなっていった。このような措置は、「潜在的危険の嫌疑」という口実だけで、司法的な許可なしで、適用できるようになった。これは、一般的に「サラミ戦術」と呼ばれている。

 組織犯罪と闘わなくてはならなくなったのは、法律が不十分であったためではなく、しばしば組織犯罪に関与していた政治家たちが、警察を支えなかったこと、闘う意志を持っていなかったためである。誰もこの事実に関心を抱いていないようである。1980年ごろは、ホロコースト修正主義が始めて花開いた時期であった。政府は、この挑戦に対して、思想犯罪を訴追する手順を整えることで対抗した。このような思想犯罪は自動的に訴追される対象、すなわち、誰かからの告発がなくても、訴追される対象となったのである。

 1989/90年のドイツの統一以降、愛国主義が高揚し、全土に愛国主義的団体が登場した。国際的な権力ブローカーは、このような愛国運動を抑圧するようにドイツに圧力をかけた。この時期、外国人に対する排外主義的襲撃事件がいくつか起こっていたが、その中には、陰謀によるものもあったにちがいない。ドイツ政府は、このような襲撃事件を利用して、「茶色の恐怖」、ファシズムの復活というまぼろしを作り上げた。この結果、1994121日、ドイツ刑法は大幅に改訂された。外国人、多文化、ユダヤ人、ホロコースト、第三帝国といったドイツの社会的タブーに関する言論の自由は、まったく禁止された。

 全面的な監視体制を目指す政府の最近の措置は、90年代末に起こった。いわゆる「大規模スパイ攻撃(Großer Lauschangriff)」と呼ばれる措置であり、それは、特定の状況の下で、盗聴マイクやカメラを使った、恒常的な住居監視を合法化していた。同時に、ドイツの司法当局は、インターネット上で「禁制の」文書を配布した件で外国人およびドイツ国民を刑事訴追することに着手した。

 今日のドイツでは、次のようなことが、非合法対象、非合法行為と扱われている。

 

    「公共の平和」への脅威と解釈されることは、検事や判事の判断で禁止されうる。

    直接的・間接的に第三帝国と関連することを示唆するすべてのシンボル、動作、歌、演説、詩は禁止される。

    「多文化」社会と移民政策への批判は非合法行為とみなされうる。

    実際のものであれ、そうでないものであれ民族社会主義者の犯罪に関連する状況に関する異論派的な研究成果を公表することは非合法である。

    「憎悪の煽動」に対する処罰は、5年間の投獄までである。

    既成政党、政府とその代表者に対する批判でさえも、法律違反(国家のシンボルと代表者に対する中傷)として訴追されうる。

    その結果、数千の書籍が燃やされ、数万のドイツ市民が思想犯として処罰され、数百の市民が投獄され、多数の反政府党・団体が非合法とされてきた。政党や政治集団の、憲法で保証されている諸権利は厳しく制限された。正当や政治集団は上記の状況に反対したり、それを暴露した場合には、社会的・刑事的処罰の対象となった。これらの状況に反対する議会内の党派、議会外の党派を創設することは法的に不可能となってきた。

    もしも専制的措置を批判すれば、政府、その代表者、シンボルを中傷した件で、訴追の対象となる。

 

このような状況を考慮すると、本名で物事を語ろうとする政治学者、社会学者、歴史家が一人もいないことは驚くべきことではない。彼らは、ドイツの「国家防衛警察」と裁判所の「国家防衛室」に召喚され、些細な政治的見解の件で厳罰を科せられることを恐れている。

私は長年ドイツの知識人たちと交際しているが、彼らの公式的な発言は、「自由か危機に瀕している」、「われわれの見解は本当に自由なのか」というものであった。しかし、今では、自由は「危機に瀕している」のではなく、もはや存在していないのである。同様に、個人が自由に自分の思想を表明できるような状態ではない。今日のドイツの社会、メディア、政府の雰囲気を考えると、多くの市民たちは自分たちの意見を表明することを恐れている。「そのことを考えることさえもできない」という声をよく耳にする。人々は、ドイツの置かれている条件を公けに議論することを恐れている。そのようなことをすれば、深刻な事態を招くからである。

ジョン・ホプキンス大学名誉教授Gottfried Dietzeは、国外にいる退職した名誉教授という、もはや攻撃を受けることのない立場からコメントしてくれるようにとの私の求めに応じてくれた。彼の回答は落胆を誘うものであった。すなわち、世界はドイツを泥沼からすでに引き出してくれたのだから、自分の愛する祖国の現況について否定的なコメントをすることで、事態を悪化させたくないというのであった。なんという悲痛な考察であろうか![60]

旧東ドイツと現政権とは、どの点で異なっているのか。これについてのちょっとした名言が、今日のドイツではやっている。すなわち、今日のドイツは、旧東ドイツが行なおうとしていたことの反対を行なっている。今日のドイツは、その市民をふとらせ、政治的に無能力としており、すべてのドイツの領土をみずからのものとし、隣国に自分の意志を押し付けることによって、市民たちから逃亡の希望を奪っている。だから、今日のドイツには、もはや国境地帯に壁や無人ロボット銃を設置する理由はないというのである。

1994年、西ドイツにはヴァイツゼッカーという名の大統領が登場した。彼は、もしも右翼的な見解を抱いていたならば、子供は両親を監視・密告し、両親は子供を監視・密告するように呼びかけた。そして、ドイツには、隣人の市民が望ましからざる右翼的見解を抱いていたならば、そのことを密告する無料の電話番号011-49-1805-234566さえも登場した。このような状態にあるのは全体主義国家だけである。

1993119日、公共行政ルードヴィヒスベルク・アカデミー政治法教授E. Mußmannは、シュトゥットガルトのドイツ・カトリック学生組織Nordgau Pragで、「警察は時代とともにどのように変化するか」と題する講演を行なった。この講演の中で、彼は、憲法が認めている諸権利が際限もなく侵害されていること、警察権力が拡大されていることを批判した。Mußmann教授は、もしもこの流れが食い止められないならば、ドイツは40年のあいだにオーウェルの小説に登場するような警察国家となってしまうので、ドイツでは暮らすことができないと述べた。Mußmann教授は間違っていた。10年しかかからなかったからである。

現在、1968年の学生反乱の指導者たちがドイツの政治指導者となっている。ほぼ全員がかつては、急進的社会主義者、共産主義者、マルクス主義者、スパルタクス団員、ひいては赤軍派のテロリストの支持者であった。Trittin (エコロジー大臣)、 シュレーダー(首相)、フィッシャー(外務大臣)、Schilly(内務大臣)たちである。そして、彼らがドイツ国民に対して行なっている迫害は、ドイツの戦後史では比類のないものである。事実、ドイツは、合衆国よりも旧共産主義東ドイツに近い、左翼過激派国家となっている。

こうした環境の下では、ドイツを訪れる人々は、ちょっとした冗談を話して、この冗談を好まない人物が隣のテーブルにいたとすれば、すぐさま投獄されてしまうことを知っておかなくてはならない。少数派(ユダヤ人、トルコ人、同性愛者、ジプシーなど)についての冗談を言うことは、「憎悪の煽動」と解釈されてしまうからである。だから、ドイツを訪れたのならば、自分の後ろに誰がいるのか注意していなくてはならない。

 

猛り狂う司法制度

 ドイツの判事は、ドイツの刑事訴訟法のおかげで、司法制度が常識とみなしていることが立証されれば、この件についての証拠や証言を拒否することができる。この法の目的は、裁判を長引かせたり、当局にとって裁判を高価なものとするという弁護側の戦術を妨害することである[61]

 しかし、ドイツの司法制度がこの規則を間違って解釈しているテーマがある。それは、第三帝国時代の歴史上の事件、ユダヤ教への批判、多文化主義や大量移民の批判に関するものである。もしも、公式の信条と一致しない考え方を公けにした場合、この人物は、裁判官の前に立たされ、自説を立証するような証拠を提出できないような状態に置かれるであろう。なぜならば、今日のドイツの法律では、第三帝国史の特定局面は立証ずみの事実とみなされており、第三帝国の犠牲者、すなわちユダヤ人、外国人、その他の少数集団に対する批判は、それが正当であるかどうかに関係なく、犯罪とみなされているからである。だから、このような異論を抱いている被告・弁護側には、自分たちの見解を証明する権利がない。検事は自分の正しさを証明する必要がない。判事が、検事はいつも正しいという事実を「常識」であると声明するからである。被告・弁護側には証拠を提出する権利がない。判事は、被告・弁護側がいつも間違っているという事実を「常識」であると声明するからである[62]。自説を立証しようとすることは、被告・弁護側が法廷の前で異論という自分の罪をさらに繰り返し、屈服しようとしていないことを証明しているので、さらなる厳罰の対象となってしまう。

 新しい証拠や、これまでにドイツの裁判所に提出された証拠よりもすぐれた証拠が存在する場合、世論の中に異論が顕著に登場してきた場合には、「常識」は放棄されるというのがルールである[63]。しかし、弁護側が新しい証拠、すぐれた証拠を提出しようとしても、また、世論の中に異論が顕著に登場していることを証明する証拠を提出しようとしても、被告・弁護側は間違っているという「常識」のおかげで、すべて却下されてきた。これまで提出されている証拠に比べるとはるかにすぐれた証拠を用意している歴史学専門家、法医学の専門家は、「彼らは間違っているという常識」のおかげで、却下され、証拠を提出する機会も与えられず、「彼らは間違っているという常識」のおかげで、訴追され、刑を宣告されてきた。このような措置は、現行の司法制度を悪用して行なわれているのである[64]

 公的人物があえて「世論の中の顕著な異論」を作り出そうとすると、やはり、自分の公的活動が「世論の中の顕著な異論」であることを立証する機会を与えられないまま、訴追されてしまう。「彼らは間違っているという常識」が存在するからである。

 最近では、ドイツ連邦最高裁は、第三帝国についての公式の歴史的信条に挑戦するような証拠を提出するか、それを請求する弁護士は、被告と共同して、「大衆を煽動し」、「民衆を煽り立てる」ような異論を支持・普及した件で訴追・処罰されうるとさえも裁定している[65]。中世の魔女裁判では、悪魔や魔女が存在しないことを立証しようとした弁護人が、悪魔や魔女と共謀した件で訴追されたが、現在のドイツはまさに同じような状況にある。

 このような状況の頂点になるような事件が1994年に発生した。ドイツの判事Rainer Orletは、マスメディアや多くの政治家の見解では、歴史学的異論派や民族主義的反対派の指導者に厳罰を下さず、法律を遵守している被告に共感さえも示していたが、その彼は刑事告訴で脅迫され、最終的には辞職を余儀なくされた。右翼の被告がしたことといえば、第三帝国の歴史についての異論派的ではあるが、平和的な見解を述べたアメリカ人の講演を通訳しただけのことであった。この事件は、もしもドイツの判事が、特定の歴史的事件についての異論派を峻厳に処罰しなければ、自分自身が迫害の対象となってしまうことを明らかにした[66]

 ドイツの司法制度の組織的枠組みも醜悪なものである。たとえば、私はいくつかの裁判で専門家証人として出廷したことがあるが、ドイツの検事も判事も、弁護人との協議の中で、政治的・歴史学的異論派に対する裁判は、上からの命令によって最初から結末が決定されている政治裁判であることを公然と認めている。そして、そのような状況であることを、私自身が専門家証人として召喚されたときに、経験しなくてはならなかった。ビエレフェルト裁判の検事は、休廷中に弁護人H. Herrmannと協議しているときに、次のように、つい口を滑らせてしまっている。

 

「この事件では、あなたが非常に準備を整えておられることは明らかです。私は、あなたの能力にたちうちできません。この裁判では、私は、政治事件を正式に処理している同僚の代理を務めているにすぎませんから。」

 

 

 このような事例はまったく特異なものではない。弁護士Klaus Göbel1990年代初頭に、修正主義者である被告たちの弁護活動を行なっていたが、その彼に対して、裁判の立証段階で、判事は率直に次のように述べている。

 

「あなたが召喚しようとする専門家証人が認められるとはお考えにならないでください。この裁判は政治的使命を持っていることを知っておいてください。その使命とは、第三帝国の歴史の特定の局面について疑問を表明する者は例外なく、裁判にかけられ、刑を宣告されるというものです。証拠を提出することがあなたに認められることはないでしょう。」

 

 Göbel弁護士は、1992722日、私が専門家証人として召喚されるはずであった裁判の予備審問のときに、この点について私に質してくれた。それは、「常識」を破壊するために「考えぬかれた、革新的で最新の証拠」を提出するという私たちの戦術が勝利を収めることはできないことを明らかにするためであった。このような裁判では、ドイツの裁判所は無罪を証明するような証拠すべてを却下し、審問なしで専門家証人の資格を剥奪するからであるというのであった。

 1992年末、私は、バーデン・ヴュルッテンベルク州刑事裁判所「国家防衛局」なるものの存在を偶然知ることになった。私は、このような政治的性格を持つ部局名に驚いてしまい、調査してみた。すると、ドイツの警察本部にはこのような国家防衛局がたしかに存在しており、その任務は、ドイツ連邦共和国の存在や、「自由と民主主義という基本原則」を脅かす恐れのある犯罪を訴追することであることがわかった。刑事警察の目からすれば、特定の政治的・歴史学的異論を抱いて、それを広めることはこのような脅威なのである。国家防衛局は3部構成である。右翼過激派担当部、左翼過激派担当部、外国人政治的過激派担当部である66

 各部局の官僚はそれぞれが担当する組織のイデオロギーについて教育を受けており、自分たちが対処すべき「過激主義」とは何であるのか認識しているのであろう。このような官僚の一人と話してみたところ、この教育が徹底していることが判明した。だから、これらの官僚が無知であると非難したり、とくに、イデオロギー的に鈍感であると非難したりすることはできない。

 1994年秋、ドイツの法律裁判所にさえも、政治的背景をもつ犯罪、「非合法」の政治的・歴史学的異論を表明するという犯罪を訴追するための政治部が存在していることを知った。その組織は内部では「国家防衛室」と呼ばれていた。

 このようなことはドイツでは秘密ではないが、平均的な市民は、政治的な司法という原則がドイツの刑事司法制度の組織に浸透し、深く根付いてしまっていることを知らないのである。世論についていえば、この件についてはまったくの報道管制が行なわれている。国家防衛局のような組織が法治国家に存在可能なのか、存在すべきなのか、国家防衛特別法廷や政治裁判のようなものが自由と民主主義を標榜する国家に存在可能なのか、存在すべきなのか、誰も問うことをしていない。

 事態をもっと悪くしてしまっているのは、ドイツの刑事訴訟法もやはり醜悪なものであることである。テレビを見ている人々は、公判の手順を知っており、それは多くの国々で共通なものと考えている。すなわち、公判中には、法廷書記が速記テーブルに座っており、公式の裁判記録を勤勉に作成しているというのである。今日では、この仕事の多くは、自動音声記録装置によって行なわれている。アメリカ、イギリス、ひいてはドイツの民事裁判所でも行なわれているやり方である。

 しかし、ドイツの刑事裁判所ではそうではない。ここでは、何と、記録はまったく保管されていない。これはきわめて奇怪なことである。裁判終了後に、判事、検事、被告、弁護人、証人の発言を正確に確証できないのであるから66。このために、裁判の内容についての嘘や誤りが生まれてしまうことになる。現代の速記技術を考えると、ドイツの刑事裁判所が裁判記録を保管しない理由はない。裁判記録が保管されていないために、冤罪事件が生じており、それは、ここで問題としている政治裁判でとくに顕著である。たとえ、最良の判事であっても、自分の裁判でなされた発言すべてを記憶していないであろうし、この間違いによる亀裂が修復されたとしても、依然として最悪の事態が残っている。すなわち、そのターゲットとしたすべての人々を有罪とする道を見出すことを義務づけられている政治的司法制度が存在しているのである。

 

そのすべてがどのように関与しているのか

 ここで問題としているような雪崩のような迫害のターゲットはおもに、右翼的政治潮流に対してである。この点を理解するには、戦後のドイツの初期の歴史をさかのぼって考察しなくてはならない。連合国はドイツを征服したのち、ドイツの民族主義、軍国主義、歴史的自尊心をくつがえし、破壊するために、峻厳な政策をとった[67]。そのために、いくつかの方策を設定した。

 

a.           マスメディアの免許制度を採用し、戦後10年のあいだには左翼的傾向のメディアの設立だけを許可した。これらのメディアは依然としてドイツのメディア市場を支配している。基本的に、愛国主義的で右翼的メディアは存在を許されていない。

b.           右翼とみなされたドイツの研究者すべてが、職を失い、左翼の研究者に取って代わられた。大半のドイツの大学では、人文系のもっとも重要なポストは、献身的に反ドイツ的で、左翼急進派(マルクス主義)的な人物で占められた。

c.           右翼政党の設立は許されなかった。当初、支持を集めていた政党(ドイツ帝国党)は連合国によって非合法化された。

d.           再教育計画が実施され、それは、ドイツの自尊心と自信を打ち砕くために、ドイツの歴史を恐怖の陳列室に変えてしまった。

 

 50年ほどたってみると、連合国による戦後の再教育計画はかなりの成功を収めていることがわかる。今日、ドイツの社会は、愛国的、右翼的、保守的なものすべてを軽蔑し、ドイツの歴史を第三帝国の(誇張され歪曲された)諸事件の観点から眺めている人々によって導かれているからである。もう一度The Independent紙を引用すれば、ドイツでは、自分は自分の国の市民であることに誇りを抱いていると述べるドイツ人は、たとえ、主流派の政治家であっても、ネオナチ、スキンヘッドと呼ばれてしまうのである。これをアメリカと比較してみると、自分は自分の国を誇りに思っていないと述べるアメリカ人が、合衆国の諸機関のメンバーに選出されることなどありえないであろう。ドイツではまったく逆である。自分は自分の国を誇りに思っていると述べる人物がドイツの諸機関のメンバーに選出されることなどありえないのである。

 ドイツでは、Rechtsすなわち「右翼」という単語は、悪と同義語である。実際、政党、宗教集団、商業団体、社会団体、メディア、組合などすべてが、「右翼」に対しては一致して闘っている。ただし、これは、急進主義、過激主義、ファシズム、ネオナチズムに対する戦いではなく、「右翼」とみなされるものすべてに対する戦いであることに注意しなくてはならない。政府機関は、政治的右翼とみなされているものすべてに対する戦いをどのように支援したらよいのかという、『右翼に対する法律』[68]と題する小冊子を配っている。状況はきわめてヒステリックとなっており、2000年末、ドイツの主導的な左翼政治紙Der Spiegelでさえも、この年ドイツ各地で起った犯罪の背後にはかならず右翼の陰謀が存在していると間違って考えてしまっているマスメディアによる妄想が原因となって、ドイツは右翼に対するヒステリー状態におちいってしまうであろうとの一面の記事を掲載したほどである[69]

 このヒステリーの頂点は、2001年に、ドイツの検事局が、メディアによってナチスと中傷された保守主義者の刑事告訴を却下した事件であった。検事局は、この告訴を却下した理由を、保守主義者であろうと、愛国者であろうと、右翼であろうと、急進派であろうと、過激派であろうと、ファシストであろうと、民族社会主義者であろうと、政治的右翼に位置するものはドイツの世論からナチスとみなされるであろうと説明した。「ナチス」は右翼に位置するものすべての人々に対する総称であるのだから、右翼とみなされる組織に所属しているかぎり、この人物を「ナチス」と呼んでも、中傷したことにはならないというのである。したがって、ドイツ当局は政治的な右翼に位置している人々すべてをナチスと定義していることになる。一般的には、中間より右に位置する人々が住民の半数で、左に位置する人々がやはり住民の半数であるから、ドイツ人の50%は、ナチスであると公けに定義されていることになる。

 今日、ネオナチはメディアの中では、不寛容で、人種差別主義者で、反ユダヤ主義者で、野蛮で、不快な集団として描かれているので、彼らに対する抑圧を支持しようとする誘惑に駆られるかもしれない。しかし、次のことを考えておくべきである。ナチスはその異論派的政治的見解だけゆえに訴追対象となって当然であるとのん気に考えている人は、もしも、自分の隣人が自分が国旗を掲揚し、国歌を歌ったことを密告したためにナチスと中傷され、迫害を受けたとしても、不満を申し立てるべきではない。まさにドイツで起っているのかこのようなことであるのだから。率直な愛国心を表明することはアメリカ合衆国ではまったく普通のことであり、正常なこととみなされているが、政治的傾向が左に傾いているドイツでは、これはナチスとみなされてしまう。因習にとらわれない思想家に対する迫害に抗議することはすべての人の義務である。この迫害が独裁制から行なわれている場合だけではなく、憲法にもとづく民主主義国家を標榜する国から行なわれている場合にも、そうなのである。

 ドイツ人の精神状態を明らかにするために、もう一つの例をあげておこう。それは、1989年の私自身の経験にもとづくデータを使った話である。1994年、私は、ビジネス経営コースで何らかの話をしなくてはならなかった。そして、プロジェクターのところに歩いていって、次のように話しはじめた。

 

「数年前に行なわれた注目すべき世論調査のことについてお話したいと思います。この世論調査では、1000名の選ばれたドイツ人が、1880年のドイツ・ハンガリー戦争ではどちらの方に責任があるのかという問いに回答することになっていました。調査結果は次のとおりです。」

 

 私はマーカーを使って、回答結果を書きました。

 

83%のドイツ人が、ドイツにこの戦争の責任があると回答しました。

7%のドイツ人が、ハンガリーにこの戦争の責任があると回答しました。

10%はその他の回答をしました。」

 

 教室は私の話を静かに傾聴していました。私は話を続けました。

 

「この質問にはかまがかけられているのです。ドイツ・ハンガリー戦争などなかったのです。その他の回答をした10%のドイツ人はこのことを知っていました。ドイツ人の歴史の知識が乏しいという事実は別として、このような調査結果は何を意味しているでしょうか。ドイツ人の圧倒的多数は、たとえ犯罪が犯されていなくても、その犯罪の責任はドイツ人にあるというように考えてしまうということです。」

 

 室内は静まりかえっていました。私は続けました。

 

「このような事態は、他の国々と比較すると非常に興味深いものです。たとえば、イギリスやアメリカで、架空の戦争についての責任問題が質問されれば、回答結果は普通逆になるでしょう。大半の人々は、このような戦争を思い出すことができないので、自分たちではなく、他国民を非難することでしょう。

 私たちは、ドイツ国民の精神状態について驚かざるをえないと思います。

 ご静聴ありがとうございました。」

 

 このコースには極左急進的な学生もいたが、彼らでさえも、このショッキングな結果に面食らっていた。

 

刑事訴追による迫害

 最近、カナダのメディアは、ドイツを、世界でもっとも峻厳な「憎悪犯罪法」を持つ国と呼んでいる[70]。残念ながら、この用語の選択は間違っている。ドイツの事態は、カナダやアメリカでの「憎悪犯罪」とはまったく異なっているからである。カナダやアメリカでは、憎悪犯罪とは憎悪によって引き起こされた通常の刑事犯罪(強盗、窃盗、強姦、殺人、傷害など)である。憎んでいるとか愛しているという感情自身は、アメリカでもカナダでも犯罪ではない。感情や意見の表明は犯罪とはなっていない。しかし、ドイツでは事態は異なっている。ドイツでは、個人や特定の集団に対して、憎悪、軽蔑、不快感、その他ネガティブな感情を表明すれば、それだけで犯罪となっているのである。もちろん、ここには大きな例外がある。ドイツ、ドイツ国民、その文化に対して無制限の憎悪、軽蔑、不快感を表明することはまったく許されている。これは刑事犯罪とはならない。しかし、同じことを他の団体に対して表明すれば、それは犯罪となってしまう。さらに、もっと悪いことに、ドイツ国民、ドイツ民族、ドイツ文化に対する愛にもとづく感情を表明したとしても、その愛、情愛、利他的な感情は、他の民族、国民、文化を貶めていると解釈されて、犯罪となり、法的なトラブルを呼び起こすことになる。

 さらにもっと悪いことに、ドイツでは、感情的なものではなく、たんに無味乾燥な事実や意見を表明したとしても、特定の影響力のある集団がそのような事実や意見の表明に憎悪の念を感じたとすると、犯罪となってしまう。例えば、特定の歴史的テーマについて異論を唱えることは、もちろん、特定の集団に対する感情を表明しているわけではないのだが、左翼集団やユダヤ人集団がこの異論に憎悪の念を感じたとすると、このような異論は、これらの集団に対する憎悪煽動したとの理由で「憎悪犯罪」に分類されてしまう。実際には、これらの集団がこのような異論を憎悪しているにすぎないのだが。

 だから、こうした「犯罪」に対するドイツでの訴追を「憎悪犯罪」と呼ぶことは適切ではないであろう。こうした犯罪は、法的な意味での犯罪ではなく、オーウェル的な意味での「思想犯罪」、もしくはドイツ当局のいう「宣伝罪」にあたるからである。

 以上のような状況をまとめておこう。ドイツとその指導者たちは、極端から極端へ、過激な民族主義から過激な自己憎悪・自己破壊へ、反愛国勢力の野蛮な抑圧から愛国勢力の野蛮な抑圧へと揺り動いてきた。振り子はもう一方の極端にまで触れている。願わくば、ここで止まらないでほしい。ここで止まってしまえば、ドイツとその国民、ドイツの文化が破壊され、大量自己虐殺へとむかっていってしまうであろうからである。

 

メディアと人権団体の完全な沈黙

 こうした事態に、わが国のメディアはどのような見解を抱いているであろうか。少なくとも、何らかの人権団体は声を上げているであろうか。否、まったく沈黙しているのである。

 この完全な沈黙の理由は単純である。ドイツ当局やメディアがネオナチと呼んでいる人々をあえて擁護しようとする人など誰もいないからである。

 ドイツのある人権団体「国際人権協会」の議長は、ドイツ政府による迫害の犠牲者を援助するように求められたとき、このことを明確に語っている。この団体は、多くの学者や出版者に対して行なわれている不正な措置を知っていたにもかかわらず、支援しないことを決定している[71]

 

「私は、協会全体を傷つけることなしに事態の進行を切り抜けていく力が協会にはないと思っている。」

 

 こうした発言の背景には、協会が共産主義に対して厳しい姿勢をとり、東ヨーロッパ諸国(おもにポーランドとチェコスロヴァキア)で民族的出自ゆえに迫害を被っている民族ドイツ人を支援している件で、メディアや左翼組織からすでに攻撃を受けていたという事情があった。その右翼的見解ゆえに「政治的に正しくない」と非難されている個人を支援してしまえば、協会全体に対する迫害を呼び起こしてしまい、これには対処できないというのである。

 400年前、当局が魔女とみなした人々を擁護する人は誰もいなかった。ソ連では、資本家とされた人々を擁護することは、その人自身にとっても致命的であった。ナチス・ドイツでは、ユダヤ人や共産主義者を擁護しないほうが賢明であった。人々を陶片追放に駆り立てている独裁制度は変化しているが、迫害の方法は変わっていないし、人々が無関心であるか、ひいては積極的に賛同している事態には変化がない。

 もし、公けに国歌を歌おうとしたとの理由でネオナチと呼ばれたとしたら、あなたは何と言うであろうか。もしも、メディアが誰かのことをネオナチと呼んだとすれば、立ち止まって考えよう。この人物はたんに愛国者にすぎないかもしれないのだから。

 

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[1] The Independent, March 21, 2001, p. 5.

[2] もっとも有名な事例は、ドイツ最大の政治誌Der Spiegelの学生版。 see http://www.spiegel.de/unispiegel/studium/0,1518,125322,00.html#v参照。この件でインターネットを検索してみると、国歌について議論しているドイツのサイトは、非合法ではないと明言している。例えば、 http://www.deutschlandlied.de/; http://www.frankfurter-verbindungen.de/studentenlieder/liedderdeutschen.html; http://www.deutsche-schutzgebiete.de/deutschlandlied.htm参照。イギリスのメディアは非合法であると間違って伝えている。例えば、イギリスのSearchlight (http://www.searchlightmagazine.com/stories/DefendingWehrmacht.htm)を参照。

[3] レニッケの事件については、court case from Sept. 18 to Oct. 15, 2002, District Court Stuttgart, ref. Ns 6 Js 88181/98; see the description by Johannes Heyne, "Patriotenverfolgung: Der Fall Ute und Frank Rennicke", VffG 7(1) (2003)を参照。また、レニッケ自身のサイトとも比較していただきたい。http://go.to/Rennicke.

[4] これについての規制は州によって異なる。Aus Politik und Zeitgeschichte No. 39 / September 22, 2000 (www.das-parlament.de/2000/39/Beilage/index.html)を参照。

[5] これについては、たとえば、ドイツ当局が発行している無料のパンフレットRecht gegen Rechtsを参照。 http://www.hamburg.de/Behoerden/Landeszentrale/archiv/pdf/recht_gegen_rechts.pdf; also: http://www.recht-gegen-rechts.de/

[6] H. Diwald, Geschichte der Deutschen, Propyläen, Berlin 1978.

[7] Ibid., 2nd edition, 1978 (actually printed in 1979).

[8] R.J. Eibicht (ed.), Hellmut Diwald, Hohenrain, Tübingen 1994.

[9] Ibid., endnote 74, p. 147. この論文は www.vho.org/D/diwald/hepp.htmlで利用可能である。

[10] County Court Tübingen , Ref. 4 Gs 1085/97.

[11] Abendzeitung (Munich), March 7./8., 1998: 「残りの部数はゴミ焼却炉で適時に燃やされている。」Zur Zeit (Vienna), no. 9/1998 (Febr. 27): 「このようなことは65年前なら、公開で行なわれていたが、今日では、ゴミ焼却炉によって行われている。」

[12] Wilhelm Stäglich, Der Auschwitz Mythos, Grabert-Verlag, Tübingen 1979; Eng.: The Auschwitz Myth: A Judge Looks at the Evidence, Institute for Historical Review, Newport Beach, CA, 1986.

[13] Cf. Wigbert Grabert (ed.), Geschichtsbetrachtung als Wagnis, Grabert, Tübingen 1984; see also DGG, "Bundesverwaltungsgericht im Dienste der Umerzieher. Erstmalig Doktorgrad aus politischen Gründen aberkannt", in Deutschland Geschichte und Gegenwart 36(3) (1988), p. 18 (online: vho.org/D/DGG/DGG36_3_2.html); DGG, "Unglaubliches Urteil im Fall Dr. Stäglich", ibid., 36(1) (1988), p. 7 (online: .../DGG36_1_1.html); DGG, "Vernunft wird Unsinn ... Späte Rache für den 'Auschwitz-Mythos'", ibid., 31(1) (1983), pp. 19f. (online: .../DGG31_1.html); DGG, "Ende der Wissenschaftsfreiheit?", ibid., 29(3) (1981), p. 38 (online: .../DGG29_3_1.html).

[14] Reichsgesetz über die Führung akademischer Grade, June 7, 1939 (Reichsgesetzblatt I, p. 985) (Reich Law for the Carrying of Academic Degrees) as well as Durchführungsverordnung, July 21, 1939 (Reichsgesetzblatt I, p. 1326).

[15] Administrative Court of Baden-Württemberg, Ref. IX 1496/79, decision on March 18, 1981. この当時、麻薬の密売で懲役5年の刑を宣告されており、そのことが警察記録に存在している人物が、必要な倫理的資格を持っていたと判断され、大学はこの人物に口述試験をするように命じられた。この裁定では、ヒトラーの法律が、民族社会主義的な考え方を含んでおらず、合法的に発行されたとみなすべきであるので、依然として効力を持っていると考えられた。

[16] German Federal Constitutional Court, ref. 1 BvR 408f./83. 同じようなケースが1996年に起った。シュトゥットガルト大学の学位候補者が、自分の学位を利用して、同じような「タブー」とされているテーマで化学的・技術的専門家報告を執筆し、「間違った」結論に達したとの理由で、博士号を剥奪されたのである。フランスでも、同じようなケースが歴史家アンリ・ロックに対して(文部省は博士号を撤回した)André Chelain, La thèse de Nantes et l'affaire Roques, Polémiques, Paris 1988) Jean Plantinに対して (リヨン第三大学は学士号と修士号を撤回した、2000/2001年)起っている。

[17] Ernst Gauss (ed.) Grundlagen zur Zeitgeschichte. Ein Handbuch über strittige Fragen des 20. Jahrhunderts, Grabert, Tübingen 1994; Engl.: E. Gauss, Dissecting the Holocaust, Theses and Dissertations Press, Capshaw, AL, 2000.

[18] ヨアヒム・ホフマン博士とエルンスト・ノルテ博士である。ホフマン博士の見解はE. Gauss, Dissecting the Holocaust, ibid., pp. 561-564に掲載されているが、ノルテ博士の見解は公表されていなし。 裁判記録County Court Tübingen, ref. 4 Gs 173/95に一部が掲載されている。

[19] 本書の出版者Wigbert Grabertが私的な話の中で、そのように述べている。彼によると、この没収にかかわった警察官の一人は、警察の監督の下で、ゴミ焼却炉で焼かれるだろうと話してくれたという。Cf. note 11.

[20] County Court Tübingen, ref. 4 Gs 173/95;および出版者W. Grabertとの私的な話。 彼の話では、印刷者に対する犯罪捜査は、本の中身を知らなかったと声明したので、中止された。しかし、彼は、この本の中身をよく知っていたので、このことを聞いて脅えてしまったという。

[21] 出版者W. Grabertとの私的な話。彼の顧客リストは没収された。そして、その後、彼のもとには、家宅捜査に強い不満を述べる百ほどの電話や手紙が寄せられたという。

[22] Frankfurter Allgemeine Zeitung, May 17, 1996, p. 12 (100 signatories); Stuttgarter Nachrichten, July 19, 1996, p. 6, Stuttgarter Zeitung, July 19, 1996, p. 7 (両方とも500名の署名); Westfalen-Blatt, Sept. 13, 19961000名の署名); 直接には言及されてはいなかったけれども、この本の焚書事件がこのアピールの口火を切った。この広告の発起人であったDr. R. Kosiekから私あての20001117日と200152日の私信参照。

[23] ドイツの公共テレビ放送では、このアピールは右翼過激派の宣伝キャンペーンとして片付けられた。ARD-Tagesthemen, June 5, 1996を参照; この事件が関心を集めたときの、バーデン・ヴュルッテンベルク議会も同じような反応であった。Landtag (state parliament) of Baden-Württemberg, 12th session, Paper 12/334, Parliamentary question by Rep. Michael Herbricht (REP), re. the appeal of 500 academics protesting against book burning by the authorities ("Appell der 500", Stuttgarter Zeitung, Aug. 27, 1996, see note 22). Position of the Baden-Württemberg Ministry of Justice, Stuttgart, Sept. 23, 1996, Ref. 4104 - III/185, Dr. Ulrich Goll.

[24] See Hoffmann's updated preface on this in J. Hoffmann, Stalin's War of Extermination 1941-1945, Theses and Dissertations Press, Capshaw, AL 2001.

[25] ホフマン博士からの私信。

[26] Topitsch博士からの私信。

[27] For this, see Otto Scrinzi, "Menschenjagd bis in den Tod", Aula, 6/2000; also Rudi Zornig, "Zum Gedenken an Werner Pfeifenberger", Vierteljahreshefte für freie Geschichtsforschung 4(2) (2000), pp. 127-130.

[28] Hamburger Institut für Sozialforschung (ed.), Vernichtungskrieg. Verbrechen der Wehrmacht 1941 bis 1944, (War of Extermination. The Crimes of the Wehrmacht, 1941 to 1945) Hamburger Edition, Hamburg 1996: English: Hamburg Institute for Social Research (ed.), The German Army and Genocide: Crimes Against War Prisoners, Jews, and Other Civilians, 1939-1944, The New Press, New York 1999. For criticism of this exhibition, see, e.g., Rüdiger Proske, Wider den Mißbrauch der Geschichte deutscher Soldaten zu politischen Zwecken, Von Hase & Köhler, Mainz 1996; Proske, Vom Marsch durch die Institutionen zum Krieg gegen die Wehrmacht, ibid., 1997; Joachim F. Weber (ed.), Armee im Kreuzfeuer, Universitas, Munich 1997; Walter Post, Die verleumdete Armee, Pour le Mérite, Selent 1999; Klaus Sojka (ed.), Die Wahrheit über die Wehrmacht. Reemtsmas Fälschungen widerlegt, FZ-Verlag, Munich 1998; Franz W. Seidler, Verbrechen an der Wehrmacht, Pour le Mérite, Selent 1998; Focus, No. 16 & 17/1997, 6/1998; Bogdan Musial, "Bilder einer Ausstellung. Kritische Anmerkungen zur Wanderausstellung 'Vernichtungskrieg. Verbrechen der Wehrmacht 1941-1944'", Vierteljahrshefte für Zeitgeschichte, 47(4) (1999), pp. 563-591; cf. Bogdan Musial, "'Konterrevolutionäre Elemente sind zu erschießen'", Frankfurter Allgemeine Zeitung, Oct. 30, 1999, p. 11; Krisztián Ungváry, "Echte Bilder - problematische Aussagen", Geschichte in Wissenschaft und Unterricht, 50(10), (1999), pp. 584-595; cf. Krisztián Ungváry, "Reemtsmas Legenden", Frankfurter Allgemeine Zeitung, Nov. 5, 1999, p. 41; Dieter Schmidt-Neuhaus, "Die Tarnopol-Stellwand der Wanderausstellung 'Vernichtungskrieg - Verbrechen der Wehrmacht 1941 bis 1944'", ibid., pp. 596-603; Klaus Hildebrandt, Hans-Peter Schwarz, Lothar Gall, quote in "Kritiker fordern engültige Schließung", Frankfurter Allgemeine Zeitung, Nov. 6, 1999, p. 4; Ralf Georg Reuth, "Endgültiges Aus für Reemtsma-Schau?", Welt am Sonntag, Nov. 7, 1999, p. 14.

[29] 彼の書簡はインターネットで公開されている。see, e.g., http://www.vho.org/VffG/2000/2/Elstner131f.html; cf. Mark Weber, "A German takes his life to protest defamation and historical lies", Journal of Historical Review, 15(5) (1995) p. 19.

[30] See www.vho.org/News/D/News4_97.html#historiker; www.vho.org/News/D/News3_00.html#n14; www.vho.org/News/D/News3_01.html#7; www.vho.org/News/D/News1_02.html#20

[31] Wahrheit für Deutschland, Verlag für Volkstum und Zeitgeschichtsforschung, Vlotho 1964; also available in English: Truth for Germany.

[32] おそらく最良の記述は、Dr. C. Nordbruch, "Geistesfreiheit in der Bundesrepublik Deutschland", Vierteljahreshefte für freie Geschichtsforschung 6(2) (2002), pp. 190-209であろう; for the court decisions, see Federal Constitutional Court, ref. 1 BvR 434/87; Re-indexing by BPjM; JMS-Report, February 1/1995, pp. 52-54; new verdict of Upper Administrativ Court, ref. 17 K 9534/94.

[33] The following issues of the series Historische Tatsachen (Verlag für Volkstum und Zeitgeschichtsforschung, Vlotho) were confiscated and lead to Walendy's prison term: Nr. 1 (LG Dortmund, KLs 31 Js 270/78), 15 (BVG, 2 BvR 1645/84), 23 & 24 (ref. Currently unknown), 36 (BVG, BvR 824/90), 38 (OLG Hamm, 3 Ws 82/91), 44 (LG Bielefeld 4 KLs W 3/96), 52 & 53 (LG Bielefeld, Qs 563/94), 59 & 60 (BGH 4 StR 518/96), 1new & 64 (BGH 4 StR 524/96), 66 (AG Bielefeld, 9 Gs 1279/96), 67 (AG Bielefeld, 9 Gs 1325/96), 68 (LG Bielefeld, 4 KLs W 5/96 IV); cf. www.vho.org/News/D/News4_97.html#u; http://www.vho.org/News/D/News3_99.html#16; http://www.vho.org/News/D/News1_00.html#22

[34] For more see: Claus Nordbruch, Zensur in Deutschland, Universitas, Munich 1998, 320 pp.

[35] これについての学説は少々異同がある。Dietrich Strothmann, Nationalsozialistische Literaturpolitik, 3rd ed., Bonn: Bouvier 1985によると12500冊ほどDietrich Aigner, "Die Indizierung 'schädlichen und unerwünschten Schrifttums' im Dritten Reich", vol. XI of the Archiv für Geschichte des Buchwesen, Buchhändlervereinigung, Frankfurt/Main 1971によると10000冊以下。

[36] Deutsche Verwaltung für Volksbildung in der sowjetischen Besatzungszone (ed.), 3 vols., Liste der auszusondernden Literatur, Zentralverlag, Berlin 1946-1948, 1953; reprint: Uwe Berg (ed.), Toppenstedter Reihe, Sammlung bibliograph. Hilfsmittel zur Erforschung der Konservativen Revolution und des Nationalsozialismus, 4 vols., Toppenstedt, Uwe Berg-Verlag, 1983-1984; cf. Martin Lüders, "Die größte Büchervernichtungsaktion der Geschichte", Nation und Europa, 47(9) (1997), pp. 7-11.

[37] ドイツの検閲制度についての2つの最近の研究を強くおすすめする。Jürgen Schwab, Die Meinungsdiktatur. Wie 'demokratische' Zensoren die Freiheit beschneiden, Nation Europa Verlag, Coburg 1997; Claus Nordbruch, op. cit (Note 34).

[38] The Federal Constitutional Court's decisions were quoted from: Karl-Heinz Seifert, Dieter Hömig (eds.), Grundgesetz für die Bundesrepublik Deutschland, 2nd ed., Baden Baden: Nomos Verlagsgesellschaft, 1985.

[39] 130条は、「公共の平和を撹乱するやり方で、住民の一部に対する憎悪をかきたてたり、彼らに対する暴力行動を呼びかけたりして他人の人間的尊厳を攻撃し、彼らを侮辱し、彼らを軽蔑にさらし、彼らを中傷する者は、3ヶ月から5年の懲役となる」と述べている。

[40] Cf. fo this the legal expertise of defense lawyer Dr. G. Herzogenrath-Amelung, Vierteljahreshefte für freie Geschichtsforschung 6(2) (2002), pp. 176-190.

[41] Dreher/Tröndle, Strafgesetzbuch, 47th ed., MN 18 re. §130

[42] Stefan Huster, "Das Verbot der 'Auschwitz-Lüge', die Meinungsfreiheit und das Bundesverfassungsgericht", Neue Juristische Wochenschrift, 1995, pp. 487ff., here p. 489.

[43] Daniel Beisel, "Die Strafbarkeit der Auschwitz-Lüge", Neue Juristische Wochenschrift, 1995, pp. 997-1000, here p. 1000.

[44] Karl Lackner, Strafgesetzbuch, 21st ed., Munich, 1995, MN 8a re. §130; the criticisms of this article are legion; cf.: Hans A. Stöcker, Neue Strafrechts-Zeitung, 1995, pp. 237-240; Manfred Brunner, Frankfurter Allgemeine Zeitung, Aug. 17, 1994; Ernst Nolte, ibid., Sept. 8, 1994; Ronald Dworkin, Tageszeitung, May 17, 1995; Horst Meier, Die Zeit, Sept. 15, 1995; Horst Meier, Rheinischer Merkur 12/1996: 1128-1131.

[45] Theodor Leckner, in: Schönke/Schröder, Strafgesetzbuch, 25th ed., Munich: Beck, 1997, p. 1111.

[46] Thomas Wandres, Die Strafbarkeit des Auschwitz-Leugnens, Strafrechtliche Abhandlungen, neue Folge, Band 129, Duncker & Humblot, Berlin 2000; cf. review by G. Rudolf, Vierteljahreshefte für freie Geschichtsforschung 5(1) (2001), pp. 100-112.

[47] Federal Minister of Justice Edzard Schmidt-Jorzig, Ruge. NeunzehnZehn: "Ehrenschutz für Soldaten - Gesetz gegen die Meinungsfreiheit?", 3-SAT, March 10, 1996, 19:10; same, Mut, no. 351, 11/1996: 32-35; Wolfgang Schäuble, Frankfurter Allgemeine Zeitung, April 24, 1996, p. 41.

[48] Bundesprüfstelle für jugendgefährdende Medien, BPjM

[49] Eckhard Jesse, "Streitbare Demokratie und 'Vergangenheitsbewältigung'", in: Bundesamt für Verfassungsschutz (ed.), Verfassungsschutz in der Demokratie, Carl Heymanns Verlag, Cologne 1990, p. 304, cf. p. 289.

[50] Ibid., p. 287; cf. also p. 303: 「自由な社会は、思想や見解の自由な交換を抑圧・鎮圧することはできない。」

[51] Ibid., p. 286.

[52] http://www.bmfsfj.de/Anlage22804/Jugendschutzgesetz_JuSchG_vom_23._Juli_2002.pdf

[53] Wigbert Grabert, of Grabert Verlag in Tübingen, to the author; see note 11.

[54] Admission of the German Federal Government, Bundestagsdrucksache 13/4222, March 26, 1996, p. 6.

[55] Richtlinien für das Strafverfahren und das Bußgeldverfahren (Guidelines for penal procedure and fining procedure), No. 208, II + IV; according to: Gerd Pfeiffer (ed.), Karlsruher Kommentar zur Strafprozeßordnung, 3rd ed., Beck, Munich 1993, p. 2174.

[56] おそらくまったく不完全な非公式のリストはインターネット上で見ることができる。また、没収された著作でネット上で利用可能なものについてのリンクもついている。www.vho.org/censor/Censor.html.

[57] Landtag of Baden-Württemberg, 12th session, Paper 12/334, see note 23.

[58] R. Dworkin, "A new map of censorship", in: Index on Censorship 1/2 (1994), pp. 9-15; cf. R. Dworkin, "Forked tongues, faked doctrines", ibid., no. 3 (1997), pp. 148-151.

[59] Der Verfassungsschutz, Hohenrain, Tübingen 1999

[60] Cf. his article "Ein Schritt zurück in polizeistaatliche Intoleranz", Vierteljahreshefte für freie Geschichtsforschung 2(3) (1998), pp. 219ff.

[61] §244 Section 3 Clause 2, German Code of Criminal Procedure.

[62] Federal Supreme Court, verdict of March 15, 1994, Ref. 1 StR 179/93.

[63] Cf. Oberlandesgericht [Provincial High Court and Court of Appeal] at Düsseldorf, Ref. 2 Ss 155/91 - 52/91 III; Federal Constitutional Court, Ref. 2 BrR 367/92.

[64] BGH, Ref. 1 StR 193/93 (提出される証拠がこれまでの証拠よりもすぐれているかどうかを証明しようとする動議も「常識」のおかげで却下されている); BGH; ref. 1 StR 18/96 (弁護側証人としての出廷を求めた件で、専門家証人には14ヶ月の禁固という判決が下されている)。

[65] German Federal Supreme Court, BGH, ref. 5 StR 485/01; cf. Sigmund P. Martin, Juristische Schulung, 11/2002, pp.1127f.; Neue Juristische Wochenschrift 2002, 2115, Neue Strafrechts-Zeitung 2002, 539;

[66] For details, see G. Herzogenrath-Amelung, op. cit. (note 40).

[67] Cf. von Schrenck-Notzing, Charakterwäsche. Die Politik der amerikanischen Umerziehung in Deutschland, Ullstein, Berlin 1993; G. Franz-Willing, Umerziehung, Nation Europa, Coburg 1991.

[68] 5参照。非合法とされている 印、歌などの大半を「ナチス的」と呼ぶことができることは正しい。しかし、ドイツでは、小冊子の表題自体や用語の選択が示しているように、「右翼」という用語と「ナチス」という用語とが同義語となってしまっており、メディアや当局もそのように扱っている。

[69] Der Spiegel, Dec. 4, 2000, Title.

[70] Toronto Globe and Mail, Feb. 14, 2003; Boston Globe, 2/21/2003: The media call Germany's laws "strict" or "tough" anti-hate laws, though they do, of course, not simply address hate as such.

[71] Letter of Karl Hafen, president of Internationale Gesellschaft für Menschenrechte, to Germar Rudolf, Oct. 30, 1996.


『いわゆるヒトラー一派のガス室といわゆるユダヤ人の虐殺は、同一の歴史的嘘である。この嘘のおかげで、非常に大きな政治的・金銭的詐欺行為が容認され、そのおもな受益者はイスラエル国家と国際シオニズムであり、そのおもな犠牲者はドイツ国民―その指導者ではない――とパレスチナ民族全体である。』

— ロベール・フォーリソン教授博士

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What is this Jewish carnage really about? - The background to atrocities

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Jewish Manipulation of World Leaders - Photos 

Elie Wiesel - A Prominent False Witness
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The Internet and Israeli-Jewish infiltration/manipulations

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1980年代のイスラエルの戦略 この記事は1982年2月『Kivunim、A Journal for Judaism and Zionism』の第14号、冬季5742にヘブライ語で掲載されたものである。

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